ヘブライの館2|総合案内所|休憩室 |
No.a1f1708
作成 1996.12
●「ハマス」の起源はエジプトの「ムスリム同胞団」にあり、イスラエル占領下でインティファーダが勃発する少し前の1987年に非営利団体として作られた。
組織を整え、これを率いたのがシェイク・アフメド・ヤシンである。行動指針である『ハマス憲章』は、1988年8月に出されているが、その中で自分たちを「ムスリム同胞団のパレスチナ支部」と自己規定している。
※ ちなみに「ハマス」という名称はアラビア語の「Harakat AL-Mugawama AL-Islamia(イスラム抵抗運動)」の頭文字をとったものであるが、同時に「熱狂」という意味でもある。
(左)「ハマス」の創設者シェイク・アフメド・ヤシン
(中)「ハマス」のシンボルマーク (右)「ハマス」の旗
●ところで、長年、パレスチナで反イスラエル武力闘争をリードしてきたのは、アラファト率いる左翼系民族主義組織「PLO」であり、ソ連やリビアの支援を受けた極左テロリストであった。その頃の、パレスチナ占領地における「イスラム運動」はまだ弱小なものであり、モスクの建設や礼拝の安寧に腐心する「ムスリム同胞団」のメンバーたちは、過激武闘路線が主流の時代にあっては、むしろ超穏健派といってもいい性格を有しており、そこに目をつけたイスラエル当局とは部分的協力関係にあったとさえ言われてる。
しかし、1987年12月に吹き荒れたインティファーダによって、急速に力をつけた「ハマス」は、強硬なイスラム原理主義組織として成長し、資金不足で弱体化し始めたPLOに代わって、過激な対イスラエル武力闘争に乗り出したのである。
●「ハマス」はイスラエルを地上から抹殺してパレスチナにイスラム共和国を樹立することを目標としている。基本的に反アラファト・反PLOの組織で、PLOとイスラエル間で結ばれた暫定自治協定で現状が固定されることを嫌い、アラファトを“弱腰”として批判している。
参考までに、ハマスのスポークスマンであるマフムード・ザッハルは以下のようなコメントを出している。
「アラファトは認識が甘いと思う。イスラエルは狡猾で、アラファトのやり方では現在の自治地域においても結局はイスラエルに牛耳られる仕組みしか生まれない。そしてイスラエルは、パレスチナがイスラム国家になることを決して容認しないことは確実だ。だから現実的に和解はあり得ない。」(『軍事研究』97/1月号より)
●1987年12月に始まったインティファーダでは、PLOを中心とする統合指導部と一線を画した独自路線を歩み、PLOの軟弱外交に失望していたパレスチナ人たちから絶大な信頼をかち得た。
また、1990年の湾岸戦争時にPLOがフセイン支持を表明すると、これに反発したクウェートやサウジアラビアなどは資金援助をPLOからハマスに切り替えた。
●ハマスの「表の顔」は非常にオープンであり、イスラム教に基づく教育・医療など社会活動に熱心で、貧困者支援用の基金を設けたり、学校や診療所や病院などの公共施設を作ったりしている。貧困家庭へは無料サービスである。
さらに、イスラエル占領下におけるパレスチナ人のアラファト支持は40%を割り始めており、ハマスはPLO主流派ファタハ(アラファト議長)最大の政治的ライバルとなっている。
実際、現在のパレスチナ住民の生活を支えているのは、暫定自治政府でもなければ、イスラエル占領軍でもなく、西側諸国が「テロリスト」と称するハマスなのである。
●しかし、ハマスには「裏の顔」として3種類の秘密部門を持っていることも、また事実である。
第1は「情報部門」である。利敵行為やスパイの摘発、“矯正”処罰、テロ実行のための情報収集などを任務とする。
第2は「浄化部門」である。イスラム法に反した麻薬、売春、不当利得の取り締まりをやるものとされる。
第3がいわゆる「イズ・アディン・アル・カッサム隊」と称される軍事部門で、エルサレムやテルアビブなどの爆弾テロ殺人はこの部門の犯行である。
ちなみにこの「イズ・アディン・アル・カッサム隊」の行動隊長は爆弾専門家だったコードネーム『エンジニア』ことヤヒヤ・アヤシュで、1996年1月にイスラエル秘密警察によって暗殺された。
しかし、この直後に「ヤヒヤ・アヤシュ門下生」という組織名を名乗ったハマス実行部隊が、爆弾を体に巻き付けて連続自爆テロを起こし、イスラエル全土を震撼させたのは記憶に新しい。
アル・カッサム
シリア出身のシャイフ
(イスラム法学者)だった
●ところで、ハマスの創始者シェイク・アフメド・ヤシンは以前からガザ地区ではカリスマ的な宗教指導者として知られていたが、彼の絶大な影響力を恐れたイスラエル政府は、1989年にこの人物をレバノン領まで追いかけていって身柄を拘束した。
現在(1996年)もヤシンはイスラエル刑務所に閉じ込められており、他のリーダーたちも国外に追放されたこともあって、ハマスの指導部は海外へ移り、主にアメリカを活動拠点とするようになった。(ハマスの実行部隊は完全に地下に潜っており、新聞・雑誌などにハマス幹部として登場するのは、アラファト寄りの穏健派である)。
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