No.a2f1210

作成 1997.1

 

世界の石油利権を狙う巨大メジャー

 

「セブン・シスターズ」

 

●中東の最大の戦略的資源は石油である。

世界初の石油産業は、1859年にエドウィン・レ・ドレークがアメリカのペンシルベニア州オイル・クリークで機械掘りに成功することで始まる。

中東では1908年、イギリス人ウィリアム・ダーシイがイランで油田を掘り当て、イランの6分の5に及ぶ広大な石油採掘の利権を手にした。

この時以来、中東をめぐる欧米諸国の利権争いは激烈を極めることになる。


●しかし、やがてウィリアム・ダーシイは資金的に行き詰まる。

彼はせっかく手に入れたこの利権を他国に売り渡そうとした。が、その時、当時のイギリスの海相であったウィンストン・チャーチルがイギリス政府を説得し、この利権を買い上げ、イギリスの財産として温存したのであった。当時のイギリス海軍はちょうど石炭から石油へと燃料を切りかえる時期だったのだ。

このイギリスの石油会社は現在の「BP」(ブリティッシュ・ペトロリアム)として巨大石油会社に発展している。

 


イギリスのウィンストン・チャーチル

 

●イラクでは第一次世界大戦前、イギリスとドイツが石油利権をめぐって激しく争っていた。

この時の妥協の産物として、1914年、「トルコ石油会社」(後のイラク石油)を設立する。持株比率はドイツ会社25%、ロイヤル・ダッチ・シェル25%、ダーシイ・グループ50%であった。しかし、第一次世界大戦で敗れたドイツは全ての利権を失い、代わりにフランスがドイツの持ち株を取得したのであった。

 

1907年にオランダの「ロイヤル・ダッチ石油会社」とイギリスの
「シェル石油会社」が合併して「ロイヤル・ダッチ・シェル」が誕生した。
このイギリス=オランダ連合の「ロイヤル・ダッチ・シェル」の子会社的存在が
 イギリスの「ブリティッシュ・ペトロリアム」(英国石油:略称BP)である。

 

●アメリカは、このイギリス・フランスの中東における石油利権拡大に危機感を持った。

そのため、アメリカは執拗な外交交渉を展開し、「トルコ石油会社」に食い込み、最終的に「エクソン」(ロックフェラー財閥)、「モービル」(ロックフェラー財閥)、「ガルフ」(メロン財閥)などを参加させることに成功したのであった。

 

 

●1924年、ニュージーランド人フランク・ホームズ少佐は、サウジアラビア国王イブン・サウドよりサウジアラビア東部のペルシャ湾(アラビア湾)一帯の広大な利権を与えられた。

しかし、ホームズ少佐は石油発見の夢を果たせず、カネに困窮、バハレーンとクウェートの石油利権交渉権をやむなく「ガルフ」に売却した。「ガルフ」はテキサスの石油開発に成功、急速に成長した会社である。

やがて「ガルフ」はレッドライン協定により、バハレーンの交渉権を「ソーカル」(ロックフェラー財閥)に売却、さらに「イラク石油」の株も「エクソン」、「モービル」に売ってクウェートの石油開発に専念した。だが、クウェートは当時イギリスの保護領であり、結局クウェートの石油利権は「BP」と半々の50%を分け合うことになった。

 

「スタンダード石油」=現エクソン社
※「エクソン」の海外ブランド名は「エッソ」である

 

●1932年、バハレーンの石油採掘で大成功した「ソーカル」は、次にサウジアラビアにも触手を伸ばし、イブン・サウド国王との交渉で石油利権を獲得した。そして1938年3月、7本目の試掘でついに採掘に成功し、サウジアラビア最初のダンマン油田を発見したのである。

同年「ガルフ」はクウェートで世界第2位の埋蔵量、ブルガン油田(600億バーレル)を発見、10年後の1948年には「ソーカル」がサウジアラビアで世界最大の油田ガワール油田(ダンマン油田の南方、700億バーレル)を発見した。


●1950年から60年代半ばにかけて中東では次々と巨大油田が発見されていくが、世界の石油利権は「セブン・シスターズ」と呼ばれる巨大メジャーによって支配されるようになった。

 


中東全体の地図

 

★「セブン・シスターズ」(7人の魔女)とは次の7社である。


◎エクソン           アメリカ
◎ロイヤル・ダッチ・シェル   イギリスとオランダの合弁会社
◎BP             イギリス
◎モービル           アメリカ
◎ソーカル           アメリカ(ガルフ石油と合併「シェブロン」へ)
◎テキサコ           アメリカ
◎ガルフ            アメリカ(ソーカルと合併「シェブロン」へ)


●このうち上半分の4社は1930年代のメジャーであり、下半分の3社は1950年代に参入したメジャーである。現在では「ソーカル」と「ガルフ」が合併して「シェブロン」を形成、6大メジャーとなっている。

しかし、石油価格の管理と富の独占は国際的カルテルとして後に非難を浴び、中東産油国のナショナリズムを刺激していくようになり、これらメジャー石油会社とアラブの指導者たちの間で利益配分をめぐる厳しい交渉が始まったのであった。


●イランでは、モザデク首相による国有化失敗の後、利益配分は50対50にとりあえず落着いたが、これにより産油国はそれぞれ増産競争を始めた。こうした中、「イラク石油」は相対的に減産のうき目にあったが、このメジャーの作戦の理由はよくわかっていない。

当時、イラクは親英的なハシミテ家が支配しており、さらに「イラク石油」にはフランス石油や5%のシェアを持つ独特なアルメニア人石油利権者グルベンキアンなどもおり、イラクが標的にされた理由はこうしたところにもあると推察される。この結果、国内経済の停滞を招いたイラク王家は、民衆の激しい怒りと憎しみを受け1958年のイラク革命へと進展する。


●このような情勢下、アラブ諸国は結束を強め、ついに1960年9月、「OPEC(石油輸出国機構)」を結成する。

「OPEC」の最大の目的は石油価格の決定権をメジャーからとり上げ、産油国の手で完全に支配することであった。しかし、この最終決定権は1973年の第4次中東戦争による「第一次石油危機」まで獲得することはできなかった。それは、安い石油をベースにした国際石油会社との妥協の産物である「安定収入」に甘んじていたからであった。

 


「OPEC」の旗

 

●石油価格はその後、「第二次石油危機」もあって急騰し、産油国には先進国をはじめとし世界中から巨大なオイルマネーがころがり込んできた。

しかし、この莫大なオイルマネーは、先進国によるマネー還流の思惑や、不穏な中東情勢を背景に大量の兵器購入へとつながっていく。また、これらの資金は国家財政を潤し、都市建設をはじめとするインフラ(社会資産)の急速な改善をうながした。

 

※ 追加情報:

1998年、「BP」が米大手石油会社「アモコ」(かつてのスタンダード石油の流れを汲む) と合併し「BPアモコ」へ。「エクソン」も「モービル」との合併を発表。

「セブン・シスターズ」の上位3社、「ロイヤル・ダッチ・シェル」「BPアモコ」「エクソン=モービル」は「スーパーメジャー」と呼ばれ、3強時代へ。

 

 


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