No.a3fhb115

作成 1997.2

 

湾岸戦争を境に急速に深まった
日本とイスラエル共和国の交流

 

 

●当館1Fの「ユダヤ問題特集」やその他のフロアでは、イスラエル共和国の「負の面」を強調してきたが、イスラエル共和国にもイスラエル共和国ならではの魅力があることに気付く。それは高度の科学技術水準、先進国並みのインフラ整備、良質で安価な労働力、自由貿易地区などである。

特に、旧ソ連から多数の科学者が流入したことを含め、巨大な「頭脳集団」が存在していることは、イスラエル共和国の強みとなっている。

 

 

 

●アジアの両端に位置する日本とイスラエル共和国が外交関係を樹立したのは1952年で、日イ関係は、天然資源に乏しく人材を唯一の頼りとするなど、共通点が多い。

しかし、これまでの関係をみると、文化・学術上の交流が中心で、経済分野の本格手な歩みはゆっくりであった。特に70年代は、アラブの石油と市場が日本を惹きつけ、アラブの「経済ボイコット」に対する自己規制が働いて、イスラエル共和国と積極的に取引する日本企業は少なかった。


●だが、80年代に石油が買手市場になり、さらに90年代初頭に湾岸戦争が起きると、日本の大手企業はアラブの「経済ボイコット」を気にしなくなるようになった。

例えば、1991年頃から、大手の自動車メーカーは次々とイスラエル市場へ参入しているし、1993年春の大手商社を中心とした「経団連ミッション」に続いて、1994年10月には「経済同友会」がイスラエル共和国を訪れている。また、イスラエルを含む「地域共同開発プロジェクト」が計画されると、多額の資金が投資されることもあって、日本の大手商社が次々とイスラエル共和国に拠点を築き始めている。

さらに「イスラエルと取引するもしないも民間企業の意志の問題」という従来の建前論を覆して、日本政府はアラブの「経済ボイコット」にはっきりと反対する立場をとるようになり、1992年12月、日本政府は各アラブ大使館にその旨を伝えている。


●日本とイスラエル共和国の政府レベルの交流は、昔からイスラエル共和国が積極的で、シャミル(85年)、アレンス(89年)、ペレス(73年・92年)の三外相のほか、ハリッシュ通産相など閣僚の訪日が多くあり、イスラエル大統領も昭和天皇の葬儀と、天皇即位の式典にイスラエルを代表して参列している。

日本からは宇野(88年)、中山(91年)、柿沢(94年)と各外相が訪イしているが、日イ協力を中心テーマとするも、アラブを絡めた訪問が多かった。


●しかし、現在、日イ間には「定期協議」が始まっており、政府レベルでの二国間交流は順調に軌道に乗っているといえる。1994年12月にイスラエルの首相として初めてラビン首相が公式に訪日し、日本からも村山首相が1995年9月にイスラエルを訪れたが、今後、二国間の政治交流はさらに緊密なものになっていくであろう。

特に、ラビン首相訪日時に結ばれた「科学技術協定」によって、ハイテク分野での両国の積極的な交流が期待されている。

 


『知られざる技術大国
イスラエルの頭脳』
川西剛著(祥伝社)

日本人は、イスラエル企業の
実力をほとんど知らない。高度な
英才教育を受けたエンジニア、ソ連
崩壊後流入したユダヤ系エンジニアたち。
その高度な技術力とその可能性、優れた
人材を生むための育成制度などに
ついて紹介した本である。

 

●現在、日本はイスラエル共和国にとってアメリカに次ぐ「第2の輸出市場」になっている。1995年実績で、対日輸出9.8億ドル、輸入8.7億ドルであり、輸出の70%ほどは「加工ダイヤモンド」で、第2位が「エレクトロニクス関係」である。日本からの輸入は自動車が首位で、家電製品、光学製品などが続く。


●政治経済以外の交流を見るならば、1960年代に始まった日本とイスラエル共和国の「政府給費留学制度」は、若手研究者の励ましとなり、例えば日本の場合、数十名の教授・助教授クラスのイスラエル研究者を育てている。1981年には、日本の学術振興会とイスラエルの振興会の間で、大学の研究者を対象とした交流プログラムが開始されている。

また、1995年6月に、広島県福山市に「ホロコースト博物館」が創設され、ユダヤ教を代表する大物人物が複数来日しており、神道と仏教から構成される「親善ミッション」は、何度もイスラエル共和国を訪れている。

 

 

 


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