No.a3fhb118

作成 1997.2

 

浮かんで消えた「英ユ同祖論」

 

●失われたイスラエル10支族探しをグローバルに考察する上で、「英ユ同祖論」なるものを知っておくのは無駄ではなかろう。

イギリス人の祖先が失われたイスラエル10支族だとする説の支持者を「ブリテンのイスラエルびと」と呼ぶが、こういった「英ユ同祖論」が明確に形成されたのは、近代以降のことに属する。しかし、これにまつわるヘブライ伝承はかなり古くからイギリスに存在していた。

 

 

●例えば、「アリマタヤのヨセフ伝承」。彼は処刑されたイエスの体をピラトから引き取り、亜麻布に包んで埋葬したとされる人物であるが、12世紀の歴史家マームズベリのウィリアムによれば、ヨセフはガリア(中欧)を経由して「アヴァロンの島」に到来し、最初のキリスト教会を設立したのだという。

さらにそれからほどなくして、文人ウォルター・マップが、ヨセフはイエスの血の入った聖杯をブリテンに運んできて、グラストンベリに埋めたと書き記している。

この一連のヘブライ伝承が、イギリスの起源神話とも呼べる「アーサー王伝説」と関連していることは注目に値する。


●ところで、既に6世紀に、イギリス最初の歴史家とされるギルダスが、ブリテン人を「神のイスラエルびと」と呼んでいたそうだが、「英ユ同祖論」の元祖的存在は18世紀の人リチャード・ブラザーズであるとされている。

彼は「失われた10支族」が欧州に散らばっていると考えたばかりでなく、自らをダビデの直系の子孫であり、ユダヤ人の王、世界の支配者であると信じ、しまいには時の国王ジョージ3世に王位譲渡の要求を行うまでに至った。

イギリス政府は、フランス革命の勃発やジャコバン主義者などの過激派に神経をとがらせていたこともあって、彼を1795年に逮捕し、精神病院に収容してしまった。

しかし、熱狂的な信奉者たちは1824年のブラザーズの死後も存続し、後にブラザーズは「ブリテンのイスラエルびと」の名誉を与えられることになる。


●ブラザーズはヨーロッパの諸国民も「失われた10支族」の子孫であると主張していたのが特徴的であったが、「イギリス国民こそ真の末裔である」と主張し始めたのは、ヴィクトリア朝に活躍したエドワード・ハインなる人物である。

彼は著書『イギリス国民と失われたイスラエル10支族の47の同一点』(1874年)などを通して、イギリス政府はパレスチナに植民すべきこと、イギリス国民はイスラエル2支族と再び合体して、キリストの再臨を実現すべきことなどを精力的に説いたのである。このため、彼は「英ユ同祖論」の真の樹立者と目されている。


●彼とその信奉者&後継者たちの構築した理論によれば、南ユダ王国最後の王ゼデキヤの娘は、預言者エレミヤに伴われて、アイルランドへと逃亡、一方、既にアイルランドには12支族のひとつダン族がたどり着いており、その王子にゼデキヤの娘は嫁いだのであるという。

彼らヘブライ人はアイルランドからスコットランド、イングランドへと移動し、スチュワート王家などはこの血統から発しており、つまるところは、イギリス王室は欧州最古の王室、血をダビデ王にまでさかのぼることができるという。


●イギリスでかなりの数の信奉者を集めることに成功した後、ハインはアメリカに目を向ける。彼の理論に従えば、アメリカ人もまたマナセ族の子孫に他ならない。

彼は1884年にニューヨークに上陸し、都合3年間をアメリカで過ごしたが、彼の“教義”は予想したほどには広まらず、最後には一文なしでイギリスに戻る羽目に陥った。彼が息を引き取るのは、それから3年後のことである。


●しかし、彼の死後も「英ユ同祖論」は衰えることはなく、イギリス本土のみならず植民地にも勢力を拡張。1919年には、イギリス王室のメンバーの後援も得て「ブリテン=イスラエル世界連盟」なるものが成立した。

しかし、第二次世界大戦終結とともに、大英帝国の覇権時代が終焉し、イギリス政府がパレスチナ支配から手を引くと、急速に支持者を失っていったようだ。

一応、この「ブリテン=イスラエル世界連盟」は現在も存在している(本部はバッキンガム宮殿のすぐそばにある)。しかし、「英ユ同祖論」支持者が現在どのくらいいるのかは定かではない。

 

 


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