No.a3fhb301

作成 1998.1

 

「日本人シュメール起源説」の謎

 

 

●現在の歴史学が“世界最古”とする文明はシュメール文明である。シュメール文明は、シュメール人によってメソポタミアの最南部、チグリス・ユーフラテス川の下流域に築かれた文明である。

シュメール人は、遥かな古代、どこからともなくこの地に姿を現し、何の手本もなしに、独力で人類最初の文明を築き上げ、今から4000年前、突然その姿を消してしまったとされる。

 

 
(左)シュメールの初期王朝期の石膏像 (右)華麗な姿で有名な
 ウル遺跡のジッグラト。シュメールといえばこの聖塔が思い浮かぶ。

 

●このシュメール人の存在は、わずか150年ほど前の1850年代まで、全く知られていなかった。

メソポタミアの歴史に詳しい聖書も、古代ギリシア・ローマの文学も、シュメール人については一言も触れていない。シュメールという名称そのものが、数千年の長きにわたって、人類の記憶から消え去っていたのである。現在でも、シュメール文明の興亡は、人類史上最大の謎のひとつとされ、歴史学はそれを「シュメール人問題」と呼び、解き明かせぬ歴史上の難問のシンボルとして扱っている。

 



シュメールは、数多くの文明が興亡を繰り返してきた
メソポタミア地方の最南部に興った。だが、
いつ、どのような経路を通ってその地に
やってきたのか誰も知らない。

 

●20世紀になって欧米考古学者、言語学者、オリエント史学者によって解読され始めたシュメール人の文字と言語は、次のようなことが明らかになっている。


【1】シュメールの楔形文字は、漢字の形成とほぼ同じ過程を経て成立した

【2】シュメール文字は現代日本語の漢字仮名まじりと同じ構造をもつ

【3】シュメール文字は子音のみならず母音をも記す(シュメール周辺のセム系言語の文字は、子音のみを表記する)

【4】シュメール語は膠着語である


※ 日本人は漢字仮名まじり文章で生活しており、日本語の文法は膠着語(にかわで接着するの意で、テニヲハの接着語によって単語がぺったりとくっつくさまを示す)系統に属する。さらに日本語は、母音が非常に強調される特色がある。

 


シュメール文字の発達経過を示した表。
人類が使っている文字の源流がここにある。

 

●日本において、シュメール文明についての研究は、戦前早くから進められてきた。「スメル学会」「バビロニア学会」が組織され、何冊もの研究報告が出版されていたのである。

だが、そんな研究報告の多くがあまりにも驚異的な内容を含んでいたので、戦後の“実証主義”の歴史学のなかで、ほとんど故意に抹殺されてしまった。そこに共通する論点が、だれもが予想もしないような「日本人シュメール起源説」だったからである。

もっとも、それを最初に唱えたのは日本人ではなかった。元禄時代、日本にやってきたドイツ系のオランダ人歴史学者ケンペルである。日本の歴史を研究した彼は「高天原はバビロニアにあった」とし、「日本人は、はるか西方のその源郷から渡来した」と提唱したのである。

 

 

●しかし、当時の日本には、まだ、民族の歴史を世界史規模で考えるだけの視野がなく、注目する人もいなかった。

が、大正年間になって、バビロニア語を学んだ原田敬吾氏がこのケンペル説を踏まえ、新たに「日本人シュメール起源説」を発表したのである。

「人類発生の原点とみられる西アルメニア高原から流れ出す、チグリス・ユーフラテス川下流域の沃野シュメールの地──この平原こそ、人類最初の楽園“エデンの園”(シュメール語でエディンとは平野のこと)であり、日本民族の祖先もここから移り住んできたのだ」


●これが原田説の骨子だが、彼は論拠として「シュメールの日の神ウト、海の神ヤーなどが、広く日本で崇拝された痕跡があること」、「創世神話、イシュタル女神の冥界下りなど、シュメール神話の多くが、日本神話に取り入れられていること」、「古事記のイザナギノミコトの服装が、シュメール君主の服装に合致すること」、「シュメール人は元来海辺の民で、航海術にたけていたこと」、「日本語の地理的名称にシュメール系の言葉が多いこと」──などをあげている。

原田氏がこの「日本人シュメール起源説」を最初に提示したのは、大正7年11月の「バビロン学会」。当時、シュメール学は現在とは比較にならないほど未熟だったが、そのなかでこれだけダイナミックな仮説を唱えることができたのである。



●この原田説を継承、発展させたのが三島敦雄氏である。

伊予大三島神社に奉職し、神社・古典に造詣の深い三島氏は、昭和2年12月に発行した『天孫人種六千年史の研究』で、「日本人シュメール起源説」を論じている。これは600ページ近い大著で、その論証は多岐にわたっている。

 


緻密な論証によって、日本人の起源を
シュメールに求めた三島敦雄氏の
『天孫人種六千年史の研究』

 

●まず、三島氏はいう。

「古語に天皇をスメラミコトとも、スメラギ、ミカド、明津神とも申しあげることは、国家としてはかつて国の基底であった。なのにこれら原始時代の言語は、すでに遠く古代においての言義を忘失し、ために我々が民族史も国語の理想信仰も、不徹底ならざるを得なかった。しかしその語源を徹底研究することによって、われらが日本人の本源は、さながら暗雲を破れる旭日を仰ぐ感じでわかってくるのである」

この語源とは何か。

「スメ(皇)、スメラ(天皇)とは古代バビロニア語のスメル(Sumer)と同語で、ル、ラは助辞の変化、シュメールとも発音された。このスメとは神の意で、ラテン語のスメ(Summae)も至上至高の意で同系語である。スメ(皇)をすべ(統)の意に解して“統制”の意にするのは、はなはだしい間違いで、天皇=神であり、スメル国は皇(スメ)国と一致して神国ということなのだ。また、スメラギとはスメル、アグ(AK)の複称であり、ミコト(尊、命)、ミカド(天皇)の言語はミグト(Migut)の転訛で“天降る開拓者”すなわち神ということ。明津神とは、シュメール語の日神ウツ(Ut)の御子たる火神アグの権化として、この国土に降りたまわったのだ」


すなわち、三島氏によれば天皇の古語はすべてシュメール語で解釈でき、いずれも“天から降られた神”を意味している。とすれば、古代の日本に天皇をいただいて天降った(=渡来した)民族は、シュメールの王族とその民だった──ということになる。

また、古代バビロニアの日像鏡、月像の首かざり、武神のシンボルである剣は、日本の三種の神器に一致し、古代バビロニアに多く見られる菊花紋は旭日を美術化したもので、皇室の菊花紋章に一致する──とも指摘して、証拠を次々に突きつけている。


●ただ、三島氏は日本に渡来したのはシュメール人だけではない、と考えていた。

彼は大陸の東端にある日本列島には、様々な民族が渡来・漂着していたことにも注目していた。たとえば倭人派は前インドのクメール族であり、隼人派と前出雲派はマラヤ・ポリネシヤ族、後出雲派は朝鮮ツングース族などである。

結局、三島氏の日本人シュメール起源説を要約すると、次のようなものになる。

「古代の日本列島にはさまざまな民族が渡ってきたが、建国の大業を経営統一した中心人種は、世界の諸文明の祖であるシュメール系民族だった。彼らは今から数千年前その大宗家たる皇室を奉戴して、人類文明の揺りかごである西の豊葦原の瑞穂の国から、日出ずる豊葦原の瑞穂の国に移住し、シュメール人本来の大理想を表現するためにこの日本を築いた」……と。



●この三島氏に先立つ大正10年、『古事記神話の新研究』で、やはりシュメールの故地メソポタミアと日本文明との関係を追求したのが石川三四郎氏である。

石川氏は明治時代に活躍したキリスト教社会主義者だが、社会運動への弾圧が厳しくなるなかで日本を脱出。ヨーロッパや北アフリカを流転して歩いた。この本の構想はその放浪生活の中で生まれたもので、したがって用いられた資料の多くは西洋のものであった。

石川氏もまた、日本とメソポタミアの文明が非常によく似ていることを、シュメール神話と日本神話の比較などから指摘する。が、彼の場合、直接的な日本人シュメール起源説をとらず、そのメソポタミア文明の媒介者としてヒッタイト民族を置くのである。

 


メソポタミアと日本文明の関係を
追究した石川三四郎氏の
『古事記神話の新研究』

 

●“鉄を発明した民族”として知られるヒッタイト人は、紀元前2000年ごろ、いずこからともなく現れて、トルコ・アナトリア高原に一大王国を築く。その勢力はシュメール文明を継承したバビロニア王国を滅ぼし、当時、世界最強を誇ったエジプトを破るほど強大だったが、紀元前13世紀末に突如として消息を絶ってしまう。

ヒッタイト人もまた、シュメール人と同様、どこから現れ、どうやってその“鉄の文明”を築き、どこへ行ってしまったのか、まったく解明されていない謎の民族である。が、石川氏はいう。

「私はこのバビロンの神話を日本に伝えたのはおそらくヒッタイト民族であろう、ヒッタイト民族はすなわち我らが天孫民族であろう、と信じる者である」


彼はその証拠として、


【1】天忍穂耳命が「正勝吾勝勝速目」の名を自ら冠り、「吾れカチカチ」と名乗ったこと。

【2】その「カチ、カチ」民族すなわちヒッタイトであること。

【3】ヒッタイトの岩屋生活は、天孫民族の天の岩屋戸に酷似すること。

【4】天孫民族の八咫烏(やたがらす)はヒッタイトの両頭鷲像に似ていること。

【5】古事記が諸神を『柱』の語で数えるのは、ヒッタイト人が『柱』形をもって国王を表徴するのと同じ意義を持っていること。


など9項目をあげ、それを詳しく論証している。

 


強大な勢力によって、当時、世界最強の
エジプト軍さえ打ち破ったヒッタイト人

ヒッタイト人もまた、シュメール人と同様、どこから現れ、
どうやってその“鉄の文明”を築き、どこへ行ってしまった
のか、まったく解明されていない謎の民族である

 

●さらに注目すべきことは、石川氏が“ヒッタイト人の謎”に挑戦していることである。

彼は、紀元前2004年にメソポタミアから突然姿を消したシュメール人こそ、ヒッタイト民族の祖先ではなかったか、と考える。なぜならば、シュメール人の消失とヒッタイト人の登場は、ほとんど時期を同じくしており、シュメール人の滅亡を歌ったメソポタミアの哀歌は“彼らは遠い山中に連れ去られた”ともいっているからだ。

また、アナトリアの厳しい自然の中に、突然、高度な金属技術を持った新しい文明が誕生した謎も、彼らがシュメール人だったとしたら、たちどころに氷解する。そして何よりもヒッタイト人は文字を扱うことに優れていた。ヒッタイトの遺跡のひとつでは、古代世界最大の粘土板文書図書館が発掘され、そこには、当時メソポタミアで使われていた全ての言葉が記録されていたのである。つまり、石川説もまた、少し形をかえた「日本人シュメール起源説」なのである。



●ところで、「シュメール起源説」と「日ユ同祖論」はどのような関係にあるのだろうか?

戦前、東洋宣教師会ホーリネス教会を指導した中田重治氏は、日ユ同祖論の熱心な提唱者だったが、彼が昭和7年に出版した『聖書より見たる日本』によれば、彼もまた聖書のいうヘテ人=ヒッタイト人に注目しているのである。

彼は次のように述べている。

「このヘテ人と文明の祖となったシュメール人とは非常な関係があり、あるいはヘテ人はシュメール人の一部ではなかったろうかとさえいわれている。このヘテ人が今より2500年前、古代イスラエル王国の滅亡とともにどうなったかわからなくなってしまった。しかるに、オックスフォード大学の考古学の権威セイヌ博士の発表したところによれば、それは日本人である。その骨格、その顔つきは日本人にひどく似ていて、目尻が上がっており、髪はわが神武天皇時代の人を絵に見るように、弁髪を束ねていたとのことである。日本人の中にたしかにこのヘテ人の血が入っているとは、私ひとりの想像ではないと思う」


●これは石川説とほとんど軌を一にしている。

そして、シュメールとの関係についてはこう述べている。

「シュメール人は聖書のエラム、すなわち今のぺルシアの都スサに居住して発展したとのことであるが、日本の古代史にスサノオノミコトが兵を引きつれて東に上ったとあるが、あるいはこれは、その都のひとりの王ではなかったろうかとも想像できる」

もちろん、中田説の中心は“日本人はセム系の古代イスラエル民族を中心として形成された特殊の民である”ということにある。が、メソポタミアの歴史を追求していくと、そんな日ユ同祖論者も、シュメール人やヒッタイト人の存在を無視できなくなってしまうようである。



●ちなみに、元衆議院議員の黒岩重治氏は、『大和民族の発祥』という私家本の小冊子で三島説をやや発展させた説を提示しているが、この中で、黒岩氏は次のように述べている。

「ユダヤ人の祖先であるヘブライ人は、スメルの奴隷であった。そして、スメルがヒッタイト族に敗退したとき、スメルの奴隷のヘブライ人は、一部はヒッタイト軍に降伏し、一部はスメルによって解放され、アラビア半島に移ったのである」



●なお、八切止夫氏の『天皇アラブ渡来説』によれば、三島氏の著作『天孫人種六千年史の研究』は、昭和10年代には陸軍大学、陸軍士官学校の課外読本の一つに採用され、ペルシャ作戦、アラブ侵攻計画といった机上演習もなされたという。つまり、昭和11年以降、三島氏の本は時代の流れの最尖端を行く超ベストセラー(合計100万部近い)であったという。

しかし、1945年8月の敗戦後、アメリカの占領軍は、この本を1冊残らず探しだして没収し焼却した(焚書)、と八切氏は述べている。

 


八切止夫氏の
『天皇アラブ渡来説』

 

●ところで、最近、シュメールと古代日本をめぐる謎に関して、世界的なレベルで関心が高まっているといえる。

たとえば、アメリカ・オリエント学会は、その学会誌の1988年第1号の巻頭に『ムル・ムルからスバルヘ』という論文を掲載している。シュメール学の権威であるS・N・クレーマーによれば、

「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を表す日本語スバルとの間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定するなど、だれにも夢想だにできないことだった。それが優れたオリエント学者ロイ・ミラーが、権威あるアメリカ・オリエント学会の会長講演をもとに加筆し“スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”ことを論証したのである」という内容の論文だった。

そして彼は「将来のオリエント学は、日本の文化と古代シュメール文化の間に、このほかの様々なつながりを発見するだろう。このような比較研究は、近年までは想像もされないことだったが!」と言っているのである。


●また、今、日本列島で衝撃的な発見が相次いでいる。

まず最初に山口県下関市の西端、関門海峡を目の前にする彦島から、奇妙な模様=「ペトログラフ」を刻んだ石が次々に発見された。解読を進めるにつれ、驚愕の事実がわかってきた。なんと、それは、シュメールの古代文字だったのである。さらにこの後、ペトログラフは、九州北部と山口県西部の各地で相次いで発見された。このペトログラフの発見のニュースは、日本国内よりも海外でより注目され、高く評価されている。


●日本のペトログラフ研究のパイオニアである吉田信啓氏は、アメリカ岩刻学会が主催する国際学会に初めて招待された時の感想を次のように述べている。

「欧米の学者が“環太平洋にペトログラフがある以上、日本列島にも当然ペトログラフが存在するはずだ”という仮説を立てていたところへ、私が日本の資料を持っていったのである。彼らの仮説を証明する形になって、休憩時間にも質問ぜめにあい、コーヒーを飲む暇もなかった。海外でこれほど大きな反響があるとは、最初は全く思ってもみなかった」

 

 
(左)日本ペトログラフ協会会長の吉田信啓氏
(右)彦島で発見されたペトログラフ。
シュメールの古代文字だという。

 

 

 


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