No.a4fha202

作成 1998.1

 

『ハザール 謎の帝国』の紹介

 


『ハザール 謎の帝国』
S・A・プリェートニェヴァ著(新潮社)

 

「ハザール王国」の歴史については『ハザール 謎の帝国』(新潮社)が詳しい。この本を書いたのは旧ソ連アカデミー考古学研究所スラブ・ロシア考古学部門部長のプリェートニェヴァ博士である。参考までにこの本の「訳者まえがき」を抜粋しておきたい。かなり重要なことが書かれている。

 


 

──訳者まえがき──


「ハザールの首都発見」のニュースが日本中を駆け巡ったのは訳者が本書を訳しかけていた1992年8月のことである。

「カスピ海の小島に防壁と古墳」(毎日新聞)「ユダヤ帝国ハザール幻の首都?─ ロシアの学者・日本の写真家ら発見」(朝日新聞)「東欧ユダヤのルーツ解明に光」(読売新聞)──これらが大新聞の紙面を飾った見出しであるが、謎の国ハザールについての日本最初の大々的新聞報道を胸躍らせて読んだ人はあまり多くはなかったのではなかろうか。それほどハザールは日本ではなじみがない。

ハザールは6世紀ヨーロッパの東部に突如出現した騎馬民族である。出自は定かではないが、民族集団として注目を受けるようになって以来アルタイ系騎馬民族の諸相を色濃く持つ。トルコ系言語を話し、謎めいた突厥文字を使用する。

彼らは近隣の民族を圧倒し、7世紀中頃王国を築き、カスピ海沿岸草原、クリミア半島に覇を唱えるが、キリスト教のビザンチン帝国とイスラム教のアラブ帝国の狭間に立ってユダヤ教を受容して国教とするという史上稀有に近い行動をとる。

王国の底辺を支えた民の人種は雑多と想像されるが、国家建設の中核となったのは、170年余にわたって万里の長城の内外で中国と激烈な死闘を演じ、遂に唐の粘り強くかつ好智にたけた軍事・外交の前に敗れ去り、新天地を求めて西へ走った突厥の王家、阿史那(あしな)氏の一枝であったこともまた興味を引くところである。まさに東西交流の要所にあって、両者を強く結びつける役をはたした民族であり、国家であった。

マホメットの死後まもなくアラブ勢力は急速に強大化し、近辺諸国をかたっぱしから征服し始める。北に向かった大軍勢はコーカサスヘと突入するが、それに立ちはだかったのは雪を頂く峨峨たる山脈だけではない。要所要所を固めていたハザールの組織的軍隊であった。防衛軍は伝統的騎馬戦闘術(例えば馬車による円陣)までも繰り出して、果敢な抵抗を行い、侵入軍を幾度も南へと撃退する。

もし、アラブ軍がコーカサスを通り抜ければ東ヨーロッパは勿論、中央ヨーロッパヘの道は広々と開かれていた筈である。ロシアもポーランドもハンガリア、はては、チェコもイスラム化したかもしれない。

ハザールはアラブとの戦役を1世紀あまりにわたり闘い抜き、イスラム勢力の東方からのヨーロッパ侵入をくいとめ、現在あるかたちでのキリスト教世界を守ったのである。それは、カール・マルテル指揮下のフランク王国騎兵軍がピレネーを越えて進撃してきたアラブ軍をトゥール・ポワティエ間の戦で撃退したのに比肩される歴史的大功績であると言うキリスト教世界の学者もいる。

しかし、一方は歴史の教科書に大書され、ヨーロッパ人には常識となるに対し、ハザールの「功績」は忘れられ、無視されてきたのは、そのルーツが我々と同じアジア人であったためであろうか。それとも国教がユダヤ教であったためであろうか。

ユダヤ人はローマ帝国により国家を奪われ、国無しの民として世界に離散流浪し、迫害に晒されるが、中世に至って、ハザールというユダヤ教国が東方の遥かかなたの草原のどこかにあるという噂を耳にし、驚喜し、鼓舞され、ハザール国探索活動を展開する。

最も熱心かつ精力的であったのは、10世紀中葉スペインのコルドヴァ王国の外交・通商・財政の大臣の地位にあったユダヤ人ハスダイ・イブン・シャプルトであった。彼は、恐らく世界各地に張り巡らされていたであろうユダヤ商人の情報・連絡網を頼りに、遂にハザール国王に手紙を届け、返書を受け取ることに成功する。2人の往復書簡は千余年の時の破壊力に耐え、現在に伝えられ、学者によって解読される。また、前世紀末にはカイロのユダヤ教会堂の文書秘蔵室から大量の古文書が出てくるが、その中にハスダイの探索活動やハザールのユダヤ教市民の救済活動に関する文書が発見され、ハザール国の内情がより細密に描けるようになる。

これだけでも伝奇に満ちた一篇の物語となるが、ハザール史そのものは現在に生きる我々に興味尽きない問題と謎を投げかける。中東和平を契機に世界各地でユダヤ人問題への関心が高まっている。政治や国際関係に関心がない人でも、学芸分野や政界・経済界でのユダヤ人天才・実力者の活躍には目を見張らざるを得ない。

このように世界で耳目を集めるユダヤ人の大部分は、モーセなど『旧約聖書』に登場するユダヤ人とは全く関係なく、10世紀末ルシ(ロシア)に滅ぼされた後、東欧に離散したハザールの末裔であるという説が広まっている。もしこれが本当なら、血で血を洗う戦争を繰り返し、今も流血の惨事を日常的にひきおこす原因となったイスラエルの建国とは一体何だったのか、ということになりかねない。そのような説が正しいかどうか、曲がりなりにも判断するためにはハザール史のある程度正しい知識が我々に今必要となろう。

ハザールが東アジアの島国に住む我々日本人にとりなぜ面白いかは、日本の建国に関し騎馬民族説が声高に唱えられるというだけではない。ハザールでは二重王権が実践されていたということが1つの理由となるのではなかろうか。〈後略〉


1996年1月 城田 俊(モスクワ大学大学院修了のロシア語教授)

 

 


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