No.A5F_hf_IL

 作成 1997.10

 

イルミナティ

 

●「イルミナティ」は、1776年5月1日、バヴァリアのインゴルシュタット大学法学部教授アダム・ヴァイスハウプトによって創設された。このヴァイスハウプトは、わずか24歳で教授の地位をつかんだ早熟の天才だった。

彼は、当時ドイツ社会を支配していた蒙昧で保守的なキリスト教イエズス会との戦いを余儀なくされていた。いつの時代でもそうだが、時代を改編するような、新思想、自由主義は、旧体制支持派によって抑圧ないし弾圧される。その役割を一貫して担ってきたのはキリスト教であり、ヴァイスハウプトのときも事情は同じだった。

 


アダム・ヴァイスハウプト
(1748~1830年)

24歳で教授になった彼は、その後
大学を追われ、ミュンヘンで「秘教科学」に
 取り組み、「イルミナティ」を創設した。

 

●彼はインゴルシュタットでの講義中断を余儀なくされ、ミュンヘンに移った。そして、その地で熱心に秘教科学の研究に取り組んだ。古代エジプトの秘儀やピタゴラス派の神秘学には、キリスト教神学とはまるで異質の知恵の輝きがあった。理性を封殺することで維持されるイエズス会──キリスト教体制からは得られない、知の饗宴、理性への“啓明”があった。

ヴァイスハウプトは深く古代神秘科学に傾倒していった。と同時に「超感覚的世界を再び地上の人間界に移植」するための結社の設立を、しだいに強く構想するようになっていった。かくして結成されたのが、「バヴァリア・イルミナティ」である。


●バヴァリア・イルミナティは、その成立時点では政治的な目的をもつ結社ではなかった。

フランスの碩学セルジュ・ユタンは、その著『秘密結社』で、バヴァリア・イルミナティを政治的結社に分類しているが、種村季弘氏は「秘教科学を探究する若い世代の学者サークル」と見なしている。たぶん、こちらの見方のほうが、より実際に近いだろう。ヴァイスハウプトがめざしたのは、むしろエソテリック・サイエンスの復活であり、実現だった。しかも、彼の時代の知性にマッチした復活ないし改編だった。

時代はよりリベラルな知性の発展につき進んでいた。抑圧された知性は、自らの輝きの復活を求めて、伝統的桎梏をはねのけようともがいていた。勢い、イルミナティには当時の知的エリートたちが集まってきた。人々はそこに知性や理性の避難所を見、「迷信と誹謗および専制主義」に侵されることのないオアシスを認めていたのである。


●バヴァリア・イルミナティは急速に膨張し、ヨーロッパに広がっていった。

沈滞状況にあったフリーメイソン団員の多くが、イルミナティに入団した。学者、弁護士、裁判官、学生、薬剤師、貴族ら知的エリートが、イルミナティに集まった。その中には、かのゲーテもいた。哲学者ヘルダーがいたし、ベートーベンの師クリスチャン・ネーフェもいた。楽聖モーツァルトもその一員だった可能性がきわめて高い。


●しかし、イルミナティの勢いは長くは続かなかった。

結社は、その主義主張から必然的に導きだされる反体制性ゆえに、わずか10年で弾圧され、殲滅された。その背後で糸をひいたのはイエズス会だった。以降、結社員は、深く歴史の闇の中に埋没していく……。


●イルミナティの亡霊が歩きはじめたのは、結社が禁止された1785年から4年後の1789年のことである。この年、フランスで民衆の一大蜂起が勃発した。フランス大革命である。この革命を背後で操っていたのはイルミナティだという説がヨーロッパの各地に広まった。

最も熱心なプロパガンダは、イエズス会のバリュエル神父で、彼は革命の一切をイルミナティの陰謀に帰した。のみならず、その起源を14世紀のテンプル騎士団にまでさかのぼらせ、いわば歴史の背後に潜む陰謀の糸──闇の意志の存在を、パラノイアックに浮き彩りにしてみせたのである。


●かの希代の魔術師カリオストロも、イルミナティ陰謀説に一枚かんでいた。革命勃発時、カリオストロは、ローマの天使城に監禁されていたが、異端審問法廷で「国家転覆を企んだのは自分ではなく、ある秘密結社に命じられての行為だ」と弁明し、その結社はバヴァリア・イルミナティだと主張した。カリオストロによれば、イルミナティはアムステルダムや、ロッテルダム、ロンドン、ジェノヴァなどの銀行の巨大な資産を用いて、専制国家体制の転覆を裏から着々とはかっているというのである。

カリオストロの弁明にどれほどの説得力があったかは定かではない。しかし、少なくともフランス革命の随所にイルミナティの影がさしていたことだけは間違いない。フランス革命の推進者の多くはフリーメイソンだったが、彼らはヴァイスハウプトの影響を深く受けており、実際、ミラボー伯のように、イルミナティとフランス・フリーメイソンを結合させるべく動いた人物が、多数記録されている。


●ここで、目をアメリカに転じてみよう。

ヨーロッパ大陸で支配者たちがイルミナティの亡霊にふるえあがっていたころ、アメリカでもイルミナティの陰謀がまことしやかにささやかれはじめていた。プロパガンダは、やはりキリスト教の僧侶によって行われた。その名をジェデディア・モースという。

キリスト教は、知性の黎明を求める者に対し、いつも異常なほど敏感に反応する。さかのぼれば、グノーシス弾圧がそうだった。新プラトニズムも錬金術も同じ扱いを受けた。ガリレオが宗教裁判にかけられ、啓蒙思想家たちが抑圧されたのも同じ図式だった。そして18世紀には、イルミナティがその対象になった。

モースは主張する。
イルミナティはキリスト教を根だやしにしようとしている!
イルミナティは国家転覆を計画している!
イルミナティは性的乱交や自殺を公認し、社会を混乱に陥れようとしている……!

こうした主張は、『ミネアポリス・スター』新聞の記者ジョージ・ジョンソンによれば、今日まで絶えることなく唱えつづけられている。現に、たとえば20世紀も半ばのアメリカ議会で、上院議員のジョセフ・R・マッカーシーは、イルミナティが「アメリカ合衆国に存在し、何年間も存続しつづけてきたという完全、かつ疑う余地のない証拠を握っております。みなさん、私の手許に『イルミナティ』の幹部ならびに団員の氏名、年齢、生誕地、職業などを記入した本物のリストがあるのであります……」と、正面から堂々と演説しているのである。


●ところで、「イルミナティ」という名称は、「神や人間についての内的な啓示」という意味を持つ言葉として、古くから多くの宗派に用いられてきたものである。このことからも、18世紀にバヴァリア・イルミナティを創設したアダム・ヴァイスハウプトがイルミナティの教義の“始祖”ではないことは明らかであり、彼は古代ギリシアやエジプトの神秘主義的哲学を研究する中で、ただそれを復活させただけであったといえる。

また、イルミナティのキーワードは「知」であるが、この、いわば「知の熱」「知の炎」ともいうべきものを執拗に追い求めたのは、古代において、プラトンであり、ピタゴラスだった。あるいはまた、グノーシスに属する神秘家、哲学者だった。グノーシスというセクト名が、何よりも雄弁にこのことを物語っている。グノーシスとは「知識」という意味である。そして、『旧約聖書』に見られるとおり、「知識」はキリスト教から一貫して「悪徳」とみられ、イブをそそのかした悪魔の化身の蛇と見なされて、迫害され続けてきた。


●イルミナティは、いつの時代にも存在した。

反イルミナティの熱心なプロパガンディストが、イルミナティの起源をエジプト神秘学に、グノーシスに、あるいは新プラトニズムに求めるとき、彼らはある意味で本質をついていた。プラトンが“愛知者”であったように、バヴァリア・イルミナティのヴァイスハウプトが知の探究者であったように、ブッディストが“般若=智恵”を求め、グノーシスが“神の知識”を求めたように、イルミナティは、常に「知」とともにあったからである。


●なお、現在、イルミナティには少なくとも2つのグループが存在していると思われる。すなわち、「ホワイト・イルミナティ」と「ブラック・イルミナティ」である。

1830年、臨終の枕に集まった弟子たちに、バヴァリア・イルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトはため息まじりにこう語っていた。

「我々の理想を歪め、世間に悪評をばらまき、世のあらゆる陰謀をイルミナティになすりつけようとする黒魔術団がある。注意するのだ……闇のイルミナティに!」

 





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