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No.a6fhe801
作成 1999.1
『日本人に謝りたい』
モルデカイ・モーゼ著
(日新報道/1979年出版)
■■第1章:戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
戦後すでに30数年を経た今日、日本人は真の日本歴史を構築してきたという実感を全然感じない、とよくおっしゃる。私にはその意味がよく分るような気がするのである。
それの意味するところは、経済の驚異的高度成長に反比例する精神面の退化現象とこの二者にみる跛行性のことではないだろうか。戦後は虚妄だといわれて久しい。
私がここで考えることは、何よりもこの跛行性の原像を日本人はまだつかんでいないのではないかということである。この病理のルーツが分からないと、治療法も発見できないのは至極当然であろう。
日本をこよなく愛する私としては、この問題を解明して日本人が真の日本歴史を生き生きと構築できるよう側面から及ばずながらお助けしなければならないという強い義務感、責任感におそわれるのである。
何故か。それはこれら病巣のルーツがほとんど誤れるユダヤ的思考の所産であるからに他ならないからである。我々は信じ難いほど頭が悪かったのだ。もともと、我々が犯した誤ちはごく単純そのものの誤ちだったのだ。
しかるに、この小さな誤ちの及ぼした影響は想像以上に大きかった。それは、戦前まで日本が世界に冠絶した類い稀れなものとして誇っていた数々のものを破壊してしまう結果となったのであった。
このことを知るに及んで、我々の心は痛むのである。しかも、その日本が戦前もっていた類い稀れな長所というものが我々ユダヤ民族の理想の具現化されたものでもあったことを知り、ますます我々の苦悩は倍加されるのである。
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我々ユダヤ民族は、西洋人にない高尚な理想を常に頭に画いていたのである。しかし日本の皆様もご存知のように、ユダヤ民族は永い永い迫害の悲しい歴史の中ではこれら理想を具現化する余裕など全くなく、ただどうして生命の安全を全うするかということに心血を注ぐのが精いっぱいであった。第二次大戦終結までは我々の解放のための闘いは絶えず続いていたのであり、そのような理想を追求する余裕は残念ながらなかったのであった。
しかるに第二次大戦後、日本が占領政策の結果大幅に改革された結果初めて、戦前の日本に我々の理想とするものが多々実在したことを発見したのであった。
これは我々にとって大きな驚きであった。
最近、日本でいろいろ比較文化論的にユダヤ人と日本人を対比した論調が出回っているようであるが、それらはいずれも軽佻浮薄なものばかりのようである。もっとも、それらは若い同胞やユダヤ人の仮面をかぶった日本人の書いたものであるから、その程度のレベルにとどまっているのもむしろ当然かも知れない。
たとえば、イザヤ・ベンダサン(山本七平)氏もその一人かも知れない。彼は、日本の戦後史の非連続性を嘆くかの如きポーズをとり、日本人の小善人的な性質をくすぐり、日本の病理は指摘しつつも、我々の犯した過誤に頬被りしようとしている。しかし、日本の戦後史は、我々ユダヤ人が過去の過ちを真摯な態度で告白しなければ解明できない性質のものなのである。
私は、今後末永く日本人と親しく友好関係を保たせていただきたいと心から願うものとして、日本の戦後の歴史的非連続性、いいかえれば何故戦前の理想的な数々の長所が失われたのか、そのために真の日本歴史の構築を阻まれている日本人の深い苦悩からの脱出をお助けするために、これら病巣のルーツを解明する作業を進めたいと思うのである。それはまた同時に将来我々ユダヤ民族の理想を追求するときにも再び大きな助けとなるであろうと信ずるからである。
ハーマン・カーンの『21世紀は日本の世紀』、最近のエズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などは哀心よりの親日的な論調であることは日本の皆様もご理解願えると思う。しかし私にいわせれば、これらの前にどうしてもしておかなければならない大切なことがあるのである。それをとばして今後の日ユ親善はあり得ないと思うのである。もしユダヤ人が最も大切なことに頬被りしたままで日ユ親善を求めるなら、それは間違いなく失敗に終わるであろう。
私は今後の末永き日ユ親善のためこの筆をとったのである。この拙稿がささやかな日ユ親善の礎となれば望外の喜びである。
■ユダヤ人こそ日本人から学ばねばならない
日本における近ごろのユダヤブームの特徴は、比較文化論的にユダヤ人と日本人を二元論的思考で対置し、大抵の場合、ユダヤ人は頭がいい民族である、日本人も学んだらどうか、というパターンのようである。
そこでは、ユダヤ人がさも自慢げに、タルムードその他の宝典から都合のいいものを抜き出して得意然として高説をぶつ、というパターンが多いようである。これに対して日本人は、お説ごもっともと謹しんで拝聴しているが如くである。この光景を見ていると、ユダヤ人が先生であり日本人は常に生徒ということのようである。
また同時に、文化的、歴史的、思考的、感覚的特徴を二元論的に対置して比較するほとんどのケースは、ユダヤ的なものを主役としているようである。
私から見た場合、日本にいる若いユダヤ人が以上のようなことで得意然となっているのであれば、わがユダヤ民族の将来も決して明るいものではないという気がする。と同時に、黙って拝聴している日本人の謙虚深さにむしろ敬意を表さなければならないと思う。
私は、逆に、ユダヤ人こそ日本人から真に多くのものを学びとらねばならないのだということを、若いユダヤ人に教える義務があると信ずるものである。
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日本にいていろいろと著作その他で活躍しているユダヤ人は、戦後の日本しか知らないのである。しかし、真の日本の世界に冠たる長所は、残念ながら戦後の日本にはもはやないのである。ということは、戦前までの日本には存在したということである。
この事実を全く知らずに若いユダヤ人達は、日本でさも得意顔で日本のウイークポイントと思われることを槍玉にあげて優越感に浸っている。
私が悲しむのは、これら若い世代のユダヤ人達が自分達ユダヤ人の理想とするものが何であるかさえ知らないということだ。
そのような状態であるから、彼らは自分達ユダヤ人の真の理想とするものが戦前の日本にあったということなど全く知る由もない。日本人が黙って君たち若いユダヤ人の能書きを拝聴している理由がわかったことであろう。全く問題にしていないのである。反論するにも値しないということだ。
ただ例外は、日本にしばらくいたことのあるラビのマーヴィン・トケイヤーであろう。彼は『日本人は死んだ』という本を著わし、それは日本でベストセラーになったものであるが、この中でトケイヤーはユダヤ人の真に理想とするものが戦前の日本には多々あったとし、それが戦後全く失われてしまったのを非常に悔んでいるのである。
一人よがりの狭量をふり回して、あたかも日本人にものを教えてやってるんだと妄信して得意然としている同胞の若者の多いなかで、このトケイヤー君はさすがラビだけあって急所を突いている。こういう同胞を私は誇りに思う。
ラビ・マーヴィン・トケイヤー
1936年にハンガリー系ユダヤ人の家庭に
生まれる。1962年にユダヤ神学校でラビの資格
を取得。1967年に東京広尾の「日本ユダヤ教団」の
初代ラビに就任。1976年まで日本に滞在し、ユダヤ人と
日本人の比較文化論を発表。早稲田大学にて古代ヘブライ
文化を教えたこともある。アメリカに帰国後、ユダヤ人
学校の校長を歴任。現在ニューヨーク在住。
日本でいろいろ能書きをたれている同胞の若い連中の恥知らずの愚行に対してユダヤ人として一言弁護させてもらえるなら、彼らは例えばタルムードの内容についてもすべてを知らない。彼らが日本で書きまくっているユダヤ的思考法、タルムードの宝石などなどで彼らがあまりにも多くのミスを気がつかずに過ごしていることには、実は我々長老にその責任のすべてがあるといってよいかもしれない。
戦後生まれのユダヤ人は、タルムードの思想といってもその最も肝要な部分を教えられていない。それはタブーとされているからである。彼らはしたがって、真のユダヤの理想というもの──それは恐らく人類の理想でもあるだろうが──を全く教えられていないのである。
このような同胞の若者が、日本に戦前あったすばらしいものを感知するわけがない。尊敬する日本の皆さん、私はユダヤ人の長老として、これら若僧の犯している恥知らずな次元の低い誤りをお詫びすると同時に、我々ユダヤ人が犯したところの大きな誤り、第二次大戦終結直後の日本人の精神的空白につけ込んで我々が持ち込んだところの諸々の誤れる思想について、その過誤の原因および内容的非論理性、反真理性について詳しく分析し、それが如何に日本人にとって有害なものであるかということを実証してみたいと思う。
勿論、この問題からみると、同胞の若僧どもの無知からくる誤りなどはものの数ではないのだが。これによって一日も早く、尊敬する日本人が戦前あった世界に燦たる民族的長所を復活させて頂きたいのである。何故ならば、それが即ち我々ユダヤ人の理想でもあるのだから。
■天皇制は古代からユダヤ民族の理想だった
日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。
18世紀フランスの思想家
ジャン・ジャック・ルソー
かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』で次の如きことをいっている。
「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである。」
ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。
ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をするとみな不思議そうな顔でキョトンとする。私は最初その意味が全くわからなかった。しかし、だんだんその意味がわかってきた。日本の天皇制にはそのような搾取者と被搾取者の関係が存在しない、ということを私が知らされたからである。今度は私の方が驚かされた。
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日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でも、また最近追放されたイランの王室でも、君主はみな国民大衆に対しては搾取者の地位にあるものである。したがって、亡命するときは財産を持って高飛びする。これが常識である。だが、日本人の知っている限り、このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである。
しかるに、ユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係にない君主制を求めているわけである。これは確かに理想である。しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在できるはずもないからやむを得ず、民主主義を選ぶというものである。
私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこういったであろう。「直ちに書きかけの社会契約論など破り捨て、速やかに東洋の偉大な君主国へ馳せ参ぜよ」と。
ここで非常に重要なことをルソーはいっているのである。今日本で絶対の善玉の神として一切の批判をタブー化されている民主主義というものは、ルソーによれば君民共治の代替物にすぎないということである。私が日本人を最高に尊敬するようになったのも、この天皇制というものの比類ない本質を知ったからである。
日本では戦前、比類なき国体という言葉があった。またポツダム宣言受諾の際にも、この国体の護持という点が一番問題になったのである。これは真に賢明なことであった。
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この日本の天皇制はユダヤ思想の理想であったことはルソーの言葉でもわかるが、他にもあるユダヤ人の言った言葉に次のようなものがある。
「わがユダヤの王は、目に見えない護衛だけで守られる。われらの王は威厳にみちてその権力を行使するのは人民の幸福のためにだけであり、決して王自身や王朝一族のためにこれを用うることはない。かくして王への尊敬と威厳はいやが上にも高まり、人民に崇拝され敬愛されるのである。そのため王は神格化されるだろうが、それはひとえに王の権威が人民に安らぎと幸福を保証するコーディネーターの役を果たすからに他ならない」
断っておくが、これは日本の天皇制の描写ではない。ユダヤ民族の理想の表現なのである。これを見てもおわかりと思うが、ユダヤ人はルソーのいった如く、国民との利害関係をもたない君主が理想なのである。
私が日本の天皇制の本質を知ったときの驚きが如何なるものであったかは、推して知られたい。地球上にユダヤ民族の理想が実在したのである。一般のヨーロッパ人は、とてもこのようなすばらしいものを創ることはできないであろう。我々ユダヤ民族も残念ながら未だ創ってはいないのであるが、しかしそれがすばらしい理想であるということを知っているだけでも日本人に近く、ヨーロッパ人よりも優れていることを日本人に認めていただければ無上の光栄である。
一般にユダヤ人が天皇制の類い稀な点を発見したのは、戦後の天皇とマッカーサーの会見の時であった。かといって、ユダヤ人全部が知ったわけではない。今日本で勝手気ままにペンを走らせている若僧たちはもとより、こんなところまで知っているわけではない。
それではユダヤ人が初めて天皇制の類い稀れな世界に燦たる本質、我々ユダヤ民族の理想である要素を完全に我々に教えてくれた、天皇とマッカーサーの会見の時の様子を述べてみよう。
マッカーサーと昭和天皇
■世界に類例のない君民共治
天皇が開口一番、自分の事はどうなってもいいから国民を救ってほしいと切り出した時、マッカーサーは驚天せんばかりであった。この席にルソーが同席していなかったのが真に残念であるが、西洋の君主というものはそれこそマルクスのいう支配者、搾取者である。一般大衆は被支配者、被搾取者に甘んじなければならない。
西洋の君主は、大衆から収奪した莫大な財産をもっている。戦後GHQが天皇の資産16億円と発表した時、日本人はキョトンとしていた。つまり、GHQは西洋の君主並みに日本の天皇も収奪した財産をもっているはずであると考えたから、それを直ちに国民の前にみせつけたわけであろう。ところがこれを聞かされた日本人は一様に、そういう感覚の持主もいるのかと内心驚いたということである。しかし西洋の常識としてはこれは奇異でもなんでもなく、至極当然なことだったのである。
かような西洋の君主は、いざ革命、戦争、政変などのあった場合は、直ちに自己の生命の保証と財産の保全を求めて亡命などを計るのを常とする。したがって、マッカーサーも最初天星が訪問の希望を述べた時、非常にきびしい顔をしていたという。いってみればそれは当然のことであろう。日本の天皇もいよいよ生命の保証と財産の保全のためどこか適当な亡命先の斡旋を懇願に来るのであろうとマッカーサーが考えたのも、無理からぬ話であろう。
しかるに前述の如く、天皇は開口一番、自己の生命や財産の保証ではなく、国民の財産や生命の保証を求めたのであった。国民を質入れして自己の保身を計る西洋の君主とは逆に、自己を質入れして国民の救済を求めたということである。
マッカーサーたるもの、すべからくルソーに対して自分が味わった感激を報告すべきであろう。
戦後の占領改革にも拘らず天皇制が存続できたことは、私の最も喜びとするところである。これはひとえに当時GHQを牛耳っていたニューディール派、つまりユダヤ勢力が天皇制に自己の民族の理想を見出したからに他ならないのである。
日本国憲法は後で詳しく述べる如くユダヤ人がユダヤ思想に基づいて作った作品であるが、その憲法の冒頭に天皇の項を設けたのはこのためである。
■なぜ欧州では君主を輸入したのか ─ 万世一系の天皇との違い
万世一系の天皇を頂く日本人は幸せである。この万世一系の天皇は、如何なる意味をもつとお考えであろうか。この点では、ユダヤ人が借越ながら日本人に少々参考になる意見をお聴かせできるかも知れない。
日本人からすると、万世一系の天皇といってもピンとこないかも知れない。他にどんな天皇があるのか、と反問されるであろう。だから日本人は幸せだと思うのである。何故か。ヨーロッパの王朝というものはみな混血王朝である。歴史上、しょっちゅう外国から国王や王女を輸入した。しかも王朝の権力が強くなればなるほど、外国からますます輸入するようになる。何故か。王朝の権力を弱める必要からである。国内から昇格させようとすると当然争いが起こり、国内が乱れるのでまずい。その点、外国からの輸入君主は当りさわりが少なくしかも飾りものなので、最も有効な方法ということになる。
こんな話をすると、日本人は全くお話にならんと思われるかもしれない。まさにそうなのである。私が万世一系の天皇をもつ日本人は最高に幸せですといった意味が、これでお分かり頂けたことと思う。
しかし、では何故に王朝の権力が国民がいぶかるほど強くなるのか。また、王朝の権力が強くなることはどうして悪いことなのか、と疑問をお持ちのことと思う。
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ここでもう一度、われらの大思想家ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出して頂ければ幸いである。ルソーは「我もし随意に祖国を選べといわれれば君主と国民との間に利害関係の対立のない国を選ぶ。しかし現実にそのような国があろうはずもないから、止むを得ずその代替物として民主主義国を選ぶ」といっている。
ここにすべてが盛られている。ヨーロッパの王朝では常に君主と国民の利害が対立している。然るに、日本の天皇制には決して利害関係の対立などない。仁徳天皇の「民のかまどに立つ煙」の故事を引き合いに出すまでもなく、また前述の天皇とマッカーサーの会見時の模様を説明するまでもなく、利害関係の対立は全くないのである。これこそ、君民共治の完壁な見本である。
このような天皇制では、常に天皇と国民の間には強固な理性的バランスがとれているのである。人間精神の最も高尚なものが両者を結んでいるのである。そこには物質的欲得など、みじんも入り込むすきはない。なんとすばらしいことであろうか。このような国で、なんの必要があって天皇を外国のものと取り替える必要があろうか。
ユダヤ人はルソーの言を待つまでもなく、長年このような君主制を夢に描いてきたのである。しかし祖国を持たないわがユダヤ人は、王を頂くこともできなかったのである。わずかにユダヤ教を「携帯祖国」としてもち、これによって民族の連帯と発展を推し進めてきたのである。キリスト教国では、このような高尚な理想をもった国は永遠に現われないであろうと思う。その点から見ても、ユダヤ人は日本人には及ばないが、一般西洋人よりは優れた民族であると日本人に認めていただければ、甚だ光栄である。
■ユダヤ人の教条主義的誤り ─ 戦前の天皇制攻撃
これから本論として述べる如く、我々は戦後の占領改革において大きな過誤を犯したのであるが、ただ一つの喜びは、天皇制の偉大さを認識でき、それを憲法の冒頭で存続させることができたことである。
だがここで日本人に謝らなければならないのは、戦前において我々の認識不足から、天皇制を最大限に攻撃し、なんとかこれを打倒しようと努力してきたのも我々ユダヤ人である、ということなのである。全く穴があれば入りたい気持ちである。
フランス革命でフランスの君主制を打倒したのが、我々の最初の大事業であった。つづいて、ヨーロッパの主な君主制を打倒することが至上任務となるのである。
何故そうなるのかということは、マルクス主義の国家論をお考え頂ければ十分と思う。マルクス主義というものは別章で詳しく述べる如く、ユダヤ人が自己の民族的解放事業のための道具として編み出した虚構論理なのである。マルクス主義の国家論はご存知のように、国家とは破壊、転覆すべきものであるということを根本原理としているものである。国家というものがあるためにユダヤ人は過去幾千年、迫害、虐殺をくり返されていたものである。自己をこのような悲惨な境遇から救うためには、国家というものを転覆することが唯一の方法であったのだ。
つまり、それによりユダヤ人が権力と財産──後にこれは生産手段という社会科学的用語にかえられたが──を奪取することによってのみ解放されるということである。これがマルクス主義の根本原理なのであるが、この国家の破壊という大事業の前に最も邪魔になるのが君主制という制度であったのだ。そのため特に、君主制の打倒ということが最大の目的となったわけである。
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今世紀に入ってからは、第一次大戦時に、ヨーロッパの主な三つの王冠、ドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリーにおける君主制の打倒に成功したのであった。
さて後に残された有力な君主制は、東洋の一角に燦然と輝く日本の天皇制だったのだ。ユダヤ人は、これの打倒に全精力を注ぐことになったわけである。
ただここで、日本人は一つの疑問をおもちになることと思う。ヨーロッパでは各国でユダヤ人が王制のもとに苦しんでいたのであるからこれらを打倒するのはわかるが、では何故にユダヤ人のいない日本で天皇制を打倒しなければならないのかという疑問であろう。
ユダヤ人の単純な教条主義的思考なのか、君主制と名のつくものはすべて敵であるとする単純な発想からくる誤ちなのか。答は否である。このことは日本人はいまだほとんどご存知ないだろうが、ユダヤ人には天皇制を打倒する理由があったのである。それについては別章で述べる機会があると思うので、今は触れないでおこう。
■美濃部達吉の「天皇機関説」はユダヤ人が吹き込んだ
さて、日本の天皇制打倒のための最大の攻勢はゲオルグ・イエリネックによって始められたのである。彼はワイマール時代ドイツの法学界を牛耳っていたユダヤ人である。
法学者ゲオルグ・イエリネック
ワイマール時代のドイツ法学界の第一人者。
絶対主義的君主主義に反対し、国家の
自己拘束の理論を掲げ、人権の確立
に努めた。改宗ユダヤ人。
マルクスの時代は、国家の破壊は階級闘争という虚構論理によるものを主力としていた。しかし今世紀に入ってからは、マルクス式にいえば、上部構造よりの破壊を考えついたのである。つまり、法理論により国家機能を弱体化させることである。特に君主制を骨抜きにする作戦である。このために利用されたのが美濃部達吉である。イエリネックは美濃部達吉に巧妙に天皇制破壊、弱体化の戦術を授けたのである。
その前に、イエリネックの学説の真髄をご紹介しておこう。これは戦後の占領改革で行われた「国家」という言葉を「社会」という言葉に変えられたことについての日本人の疑問に答を与えるものでもある。
■何故「国家」が「社会」にかえられたのか
イエリネックは超観念論的思考の所産として、国家の存在を否定しようと試みる。国家は感覚的に認識するをあたわず、その制度や活動においてのみ認識できるものであるとする。そして国家の最終的客観的要素は作用となって現われる人間の間の一定の社会関係の総和であり、より精確にいえば、人と人の関係に現われる一定の作用の同時または継時の存在であり、これのみが国家の証明できる最終の事実であるとする。
イエリネックの狙いとするところは、「国家」という観念を去勢し、それに代わって「社会」という観念を導入するにある。
戦後日本では、しばしばこの「国家」という観念が「社会」という観念に代えられたということが議論されている。そのへんの疑問に答を与えるのが、このイエリネックである。
イエリネックは、したがって先輩のオットー・フォン・ギールケのいう有機体説も否定しようとする。つまりギールケにあっては、国家は実際に存在するものであるから「有機体」を考えるべきであると主張するのであるが、イエリネックは「有機体」が人間の認識の如何にかかわらず存在すると考えるのは実証的研究の地盤を去ることを意味し、真理に代えるに詩をもってするようなものと極論している。これはまごう方なき観念論であり、マルクスの国家否定論と対照的である。しかし、同じユダヤ人であるマルクスとイエリネックの国家否定論は軌を一にするものであり、ユダヤ民族の大目的に奉仕する論理であることを認識する必要があろう。
イエリネックの役割は「上部構造」より国家の解体へ向かうことであった。つまり、法理論を活用することである。この目的のために利用されたのが、美濃部達吉である。例の「天皇機関説」がそれである。
憲法学者・法学博士の
美濃部達吉(みのべ たつきち)
東大卒業後、ドイツ留学中にイエリネックに師事。
天皇の大権を狭く解釈する独自の憲法学を打ち立て、
1945年幣原内閣の憲法改正の顧問を務めた。
ところが、イエリネックの深遠な狙いはその協力者、美濃部達吉の無知により、かなりあいまいなものにされてしまった。それというのは、この「天皇機関説」の受け取り方がイエリネックの当初の思惑をかなりズレてしまったのである。
美濃部は、イエリネックの Organ というドイツ語を単純に「機関」と訳してしまった。日本語の「機関」という言葉は、マルクス主義者の受け取り方を除いては、イエリネックの当初の狙いを十分反映できない言葉である。
一般には、天皇即国家であったのを、天皇は国家の一機関にすぎないというふうに天皇を格下げしたものであると考えられるようになった。これは、日本語のもつ「機関」という意味からすれば、むしろ当然かも知れない。
ドイツのユダヤ人の間ではドイツ語の Organ は、抑圧、搾取のための「道具」、「手段」を意味する。しかし、普通の日本語訳からすれば「機関」ということになろう。ただ「機関」となると、Organ のユダヤ的意味を完全に伝達しないきらいがあるということである。もし美濃部がもう少しユダヤ的思考に通じていたら、ノーベル賞(ユダヤ機関が設置運営している)でももらったかもしれない。イエリネックは、さぞ不満であったことだろう。彼の狙いは、あくまで天皇を抑圧、搾取するものと形容したかったのである。
ユダヤ人のいう Organ は具体的にいうと、支配階級が被支配階級を抑圧、搾取する手段、道具という意味である。美濃部が「機関」と短絡思考でやってしまったお蔭で、かなり意味あいの異なるものとなってしまった。天皇は国民を抑圧する手段であるとする宣伝は、かなりぼかされた。
君民共治は、日本の天皇と国民の間にのみ存する理想的政治形態である。これがある限り、日本の共産主義化は困難と判断したユダヤ勢力は、「天皇制」を絶対悪として宣伝し始めたのである。戦前はコミンテルンを通じて大々的に「天皇制」打倒のキャンペーンをした。コミンテルンの日本出張所として誕生した日本共産党に「天皇制」打倒を至上命令として実践させた。今日に至るも日本共産党が「天皇制」打倒、「天皇制」絶対悪論を振り回しているのは、そのためなのである。
以上のように我々は戦前天皇制の打倒を至高目的としていたのであるが、戦後天皇制が類例のない偉大なものであることを初めて知るに及んで、天皇制の存続を図ったわけである。この時には天皇制廃止論者が周りに多く、大変苦労したものである。
ここでの我々の努力を評価して頂ければ光栄である。戦後史の解説書などでしばしばいわれている天皇制存続の理由、「占領政策のため利用する目的で存続させた」といったことが如何に認識不足かということをお分かり頂けると信ずる。
日本共産党はいまだに天皇制を絶対悪と信じている。国会の開会式に天皇が臨席される時に共産党議員が欠席するのは、その現われといってよいだろう。
■日本共産党は誤れるユダヤ思想のエピゴーネン
日本共産党は、コミンテルンの日本出張所として誕生したものである。コミンテルンの目的の一つには日本の天皇制打倒があった。
コミンテルンはスターリンの独裁が強化されるまでは、国際的なユダヤ勢力により動かされていたものである。日本共産党はユダヤ勢力が「残置謀者」として残したものであり、完全なるエピゴーネン(亜流、継承者)である。
このエピゴーネンは、すでにユダヤ人の意志とは全くかけはなれた思考により行動しており、我々としては全く邪魔な存在なのである。もともと共産主義というものは、ユダヤ人が創った虚構論理である。したがって、今日でも日本共産党が日本の社会で害毒を流していることに対して我々ユダヤ人は心を痛めている。さらに、日本共産党の誕生に我々が責任あるというだけでなく、戦前、日本の支配勢力により行動を抑止されていた日本共産党を戦後陽のあたる場所へ出すのを助け、さらに赤だるまが火を吹く如く大躍進させたのもニューディール派、すなわち、ユダヤ勢力である。
■八紘一宇の大思想 ─ 称賛された満州の近代化
戦前の日本には、八紘一宇という大精神があった。これは神道のこれまた類い稀な偉大な思想に基づくものである。西洋の宗教の如き排他性をもたない、傑出した思想であるといえよう。
この点を証拠づけるものは、西洋列強の東洋侵略と日本の満州国建設のコントラストであろう。西洋列強の東洋諸国支配は搾取、収奪、奴隷化に他ならなかった。英国が印度支配のため最初に打った手は、既存の教育関係を絶滅し、諸民族を相争わせ、言語の複雑化を計ることであった。オランダのインドネシア支配も同様であった。そこには何ら建設的なものはなく、ただ自己のための搾取があるのみであった。
しかるに、日本の満州国建設大事業はこれとは対照的であった。五族協和を唱い諸民族平等の関係を育て、その投資は建設的なものであった。当時欧米でも識者は、人口3000万の満州国は十年後には人口1億を有する大近代工業国家として極東の一角にその勇姿を現わすであろうと、称賛と期待をもって見守っていたものであった。
他のアジア諸国で、欧米列強によって近代的工業国家に育てあげられた国が一国でもあっただろうか。満州の近代化の成果は、現代に至るも中国の工業の心臓部である点をみても分かることである。
これを可能にしたのは、八紘一宇の大思想のしからしむるものである。
■すばらしかった戦前の家族制度
さて次に、我々ユダヤ人の理想のお手本となるべきものに日本が戦前誇った家族制度があった。
面白い話を一つ紹介しよう。
かつて「国際連盟」の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。「国際連盟」といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果つくられたものが「国際連盟」なのである。この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて他は皆ユダヤ人だったのである。
ILO初代事務局長
アルベール・トーマ(ユダヤ人)
この他、「国際労働局」というのがやはりジュネーブにあったが、これは「国際連盟」の一局の如く考えられるふしがあるが、さにあらず、全然独立した機関で実際の規模は「国際連盟」よりはるかに大きいものであった。私もここで極東問題を担当していたのであるが、これも勿論、ユダヤ人の機関であった。
何故ユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピゴーネン(亜流、継承者)としての各国共産党を生んだのである。
一方、ユダヤ人自身としてもユダヤ民族の解放を非ユダヤ人の協力者にのみ任しておくわけにはいかないのは勿論である。当然、ユダヤ人自身でも自己の解放運動を進めていた。国際連盟はその機関の一つとご理解願いたい。したがって、「国際労働局」の方がむしろ規模が大きいという点も納得されることと思う。
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話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとしたとき、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
アルベール・トーマは、「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。家族が暖かく迎え入れてくれるからである。この家族制度をなんとかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」といっているのである。
アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。
アインシュタイン(ユダヤ人)
1922年に来日
かくの如く、日本の家族制度はこれまた類い稀な存在であったのだ。戦前の日本の家族制度にはとても及ばないが、現在世界中で一番この家族制度というものを強固に有しているのは我々ユダヤ人社会であろうと思う。この点、我々は常にそれを誇りとしている。
ここでまた日本人にお詫びしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである。
前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである。〈中略〉
さて現在のユダヤ人社会では、戦前の日本にあったようなすばらしいものではないにせよ、家族制度というものは固持されている。恐らく世界一のものではなかろうか。
親と子は、多くの場合同居している。これは決して住宅難のせいではないのである。子は、年老いた親の面倒をよくみるのである。特に親孝行という言葉はもっていないが、将来できるかも知れない。また、親類づきあいも密である。安息日にはたいてい、どこかの親類と家庭で交わるのを普通とする。我々は戦前の日本の家族制度を見習いたいのである。
ユダヤ人は、福祉ということはあまり考えない。これは家族制度のアンチテーゼだからである。福祉とはただ食わせるだけといえるかも知れない。老人ホームに例をとると、そこでの老人に保証されているのは餓死しないということだけである。生き甲斐というものは何も保証されていない。然るに家族制度の枠内の老人は子の成長、孫の成長を楽しむという生き甲斐をもつことができる。どちらがいいかは、議論の外であろう。
日本では戦後、ニューディール派の改革で姦通罪というものが外されてしまった。これも家庭の不和を増長させる重大な要素であると考えられ、家族制度の破壊を狙ったのものであると私は考える。ユダヤ人の社会では、現在でも姦通ということはまずあり得ないのである。十戒において厳に禁ぜられているからである。
外国の例を見ると、やはりロシア革命後の婦人国有化政策を上げねばなるまい。
レーニンは「家庭は利己主義の砦である」といって、婦人を全部社会へ出してしまった。現在のソ連で依然として女性が男性と同じ肉体労働までしているのは、その名残なのである。別章で説明するが、日本人の皆様には驚きかも知れないが、レーニンはユダヤ人なのである。
女性の社会への進出というとなにか進んだ制度の如く感じるかも知れないが、家族制度という観点から見た場合、これもやはり崩壊へ導く要因であるようである。このへんのところは日本国憲法の内容と密接な関係があるので、そちらでまた述べることにする。
■義理人情は世界に類なき美徳
次に我々ユダヤ人が是非学びたいと思うことに、日本の戦前にあった義理人情という美徳がある。武士の国日本では、他民族では絶対にもちえない繊細な心の機微というものがあった。本能的な西洋人には想像もつかない深遠な人間性の発露である。私は、この義理人情が究極点として天皇制に到達するものと考えている。
私の大好きなものの一つに大相撲があるが、ときどき「こんちわ相撲」ということを聞かされる。これを八百長相撲と表現する人もある。しかし私は、この表現は正しくないと思う。「貸し借り相撲」ともいわれる。この言葉はどちらともとれる言葉だが、「八百長」よりはましだと思う。つまるところ、日本の大相撲のそれは根本において義理人情から発しているものだという点を理解するまでに、私は相当の日月を要したのである。
武士道的義理人情から発したものであったため、戦前ではこの「こんちわ相撲」のことは角界以外には決して知られていなかったものである。つまり、マスコミの好餌となる材料ではなかったわけである。義理人情から出た結果なら、戦前の日本人なら決してそれを追及せず、そっとしておいてやる雅量をもっていたと思われる。しかるに戦後、特に義理人情がほとんど失われた今日では、単純に汚い八百長と同次元に考えられることのほうが多いようである。
ユダヤ人の社会には、日本ほどの義理人情というものは存在しない。しかし、同胞相助け合うという精神では日本の義理人情には及ばないものの、ある程度のものはもっている。少なくとも、欧米人よりは優れたものをもっていると思う。ユダヤ人はよく「感動の民族」だといわれる。これはビジネスにおいてもそうである。ふだんがめついと思われているユダヤ人でも、ちょっとした「感動」により時には利害を忘却したのではないかと思われるようなことがある。
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決して恩に着せるわけではないが、この点に関する格好の例として我々ユダヤ人が自慢できるものがある。それは日露戦争の時、クーン・ローブ商会のヤコブ・シフが高橋是清と会って外債を引き受けたことである。
(左)アメリカ・ユダヤ人の中心的存在だったユダヤ人金融業者ヤコブ・シフ。
日露戦争の時に日本を資金援助した。(中)「クーン・ローブ商会」
(右)司馬遼太郎が書いた歴史小説『坂の上の雲』(文藝春秋)
(この本の第4巻にヤコブ・シフが登場している)。
勲一等旭日大綬章
日本政府は「日露戦争」勝利の功績に
報いるため、1906年にヤコブ・シフを
日本に招いて、明治天皇が午餐会を催し、
シフ夫妻を拝謁。「勲一等旭日大綬章」
という勲章をシフに授与している。
※ 明治天皇が民間人である
外国人に陪食を賜ったのは
シフが初めてだった。
日本の勝利を予想した者がだれ一人いなかった日露戦争で、日本へ戦費の調達を考慮する者があろうはずもなかった。英国など日英同盟の関係から知らん顔はしにくいと思われるが、例によって全く打算的な態度であった。
ヤコブ・シフは、高橋是清と会っているうちに、いうにいわれぬ感動に陥ったのである。勿論シフには、ユダヤ人を迫害しているツァーを倒したいという考えも強く作用していたことは事実である。しかしそれにしても、必敗と予想されていた日本へ計算高いといわれるユダヤ人が何故に金を貸すのか。常識ではあり得ないことである。そこには、日本の義理人情に匹敵するユダヤ人の「涙」があったことを是非ご理解頂きたいと思うのである。
現在でも日本人とユダヤ人との商取引においてこのような「感動」の商法が行われている実例は、しばしば見受ける。ユダヤ人はこの「感動」をさらに高めて、日本の戦前の義理人情にまで高めたいと思っている。よろしくご指導願えれば幸甚の極みである。
次にユダヤ人がすばらしいと思うものに、戦前の武士道精神がある。
ラビのトケイヤー君も『日本人は死んだ』の中で「軍国主義のすべてが悪いとは思わない」という意味のことを書いているが、戦前の軍人精神というものは人間性の発露として至高のものであったと思う。個人の利害を忘却して全体のために奉仕するということに対するあれほどの完全さは、他民族には決して見られないものである。特攻隊員がその最たるものであることは、いうまでもない。
また、日露戦争以来、日本の陸海軍はいたるところで武士道精神を発揮してきたことは世界中から尊敬されている。
■「男は度胸、女は愛嬌」は男女の天分を表すもの
その他では、戦前の日本人には「男は度胸」「女は愛嬌」という言葉があった。これは皆様も欧文に翻訳する時困った経験をお持ちであろうと思う。この「度胸」「愛嬌」に相当する欧米語が見当たらないからである。しかしこれは当然のことである。何故なら、この両者は欧米人の男女とももち合わせていないのであるから。
これは全くすばらしいものであると思う。男女の天分の顕著な発露であり、人間を最も個性的に飾るものとして、例のないパーソナリティである。男の「度胸」という点で、戦争中、「アメリカ兵は白兵戦になると赤ん坊のように声を上げて泣きだすのだ」と聞かされた銃後の日本人は、キョトンとして信じられないといった表情だったのだ。まさかいくらなんでも、兵隊たるもの、戦地で泣き出すなんて大げさな話だろうと考えたのである。これは、当時の日本人なら無理からぬ話である。然るにである、これは全くの事実なのである。つまり、アメリカ兵には「男の度胸」というものが備わっていない。「女の愛嬌」の問題にしても、戦前外遊した人々は欧米の女性に愛嬌がないという点を指摘していたものである。これは無論、今日でも変わらない。戦後の若い世代の日本人には、もはやこんなことを感ずる余地はないようである。この両者を戦後完全に失ってしまったからである。
これら多くの戦前の日本人がもっていた世界に類い稀な美点、長所は、我々ユダヤ人の理想を具現化したものであったのだ。しかるに第二次大戦の終結を機として、これらが完全に失われてしまったのである。真に残念というほかない。
今回私がどうしても本稿の筆をとろうと決意したのは、これら類い稀な人類の財産ともいうべき長所を喪失せしめた責任が実は我々ユダヤ人にあるということを率直に認め、深くお詫びすると同時に、我々の犯した過ちがいかなる思考、動機から惹起されたものかという点を詳しくご説明させて頂いて、一日も早くこれら美点を復活させて頂きたいと思ったからである。何度も繰り返す如く、これらは我々ユダヤ人の理想でもある。これらを積極的に自己の理想といえるのは日本人の他にはユダヤ人しかありえない、とはっきりいえると思う。
どうか、尊敬する日本のみなさま、これから私が解き明かすことをじっくりと検討され、戦後の病巣、社会的混乱、経済と精神衛生面の跛行性の原因をよくお考えいただきたいのである。
■西欧追随は文化の退化をもたらす
ただここでちょっとと申し述べておかなければならないのは、これら戦前の日本にあった類い稀な美点が戦後100%失われたということではない、ということである。
それはどういうことかというと、日本の社会の内部では、つまり日本人の間ではこれら美点が失われているのを認めなければならないが、日本人が外人に対するときはまた別の話だということである。つまり、国際的には日本人の美点は存分に生かされているということである。
比較文化論的に考察するに、日本人は西洋人一般よりも理性的にはるかに優れているといえよう。今まで述べた戦前の美点もつまるところ、日本人が理性的に西洋人をはるかに凌駕しているということに他ならない。この点で西洋人が日本人に追いつくには数世紀、いや数十世紀、あるいは永遠に追いつくことができないのかも知れない。
こういう相手とつき合う場合、否応なしにこの地球上で生存するためには付き合わなければならないが、このことがどういう結果になるかということである。
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日本人は「国際性」という場合、100%西洋のペースに日本人が適応することというふうに考えているようであるが、これは人類の文化の退歩を招くことであり、断じてそうあってはならない。これは全く逆立ちしている。西洋人こそ日本人に適応させなければならない。何故なら日本人の理性の方がはるかに西洋人のそれより進んでいるのであるから。
ところが、西洋人は未だそんなことなど全く理解していない。はばかりながら、我々ユダヤ人はそのへんをおぼろげながら理解できると自負している。この点でも、ユダヤ人が一般西洋人より進歩した民族であると認めていただければ無上の光栄なのである。
この点が逆になったため、大東亜戦争は起こったのである。日本はなんとか戦争を避けようと、全くの善意から必要以上の譲歩をした。ところが相手は、その譲歩を全く単純に弱さの現われとしか取ることができなかった。
この理性的なものの差は、数世紀やそこらで埋まるものではないと私は考える。
残念ながら、現在の人類の理性の水準では、西洋人側の単純極まりない思考法が表通りを大手を振って歩いているのである。これでは人類の進歩はあり得ない。〈中略〉
■ユダヤ人は日本人を理解できる唯一の外国人
我々ユダヤ人は、この逆説をひっくり返すために最大限の努力をする覚悟である。例えば、東西のかけ橋になるとか……。
その他、個人的交際においても日本人は対外人となると古来の伝統的美徳を完全に発揮している。しかしそれに対して一般外人は、これを全く理解する能力がないといわねばならない。このため、日本人はどれだけ損をしていることか。私は、このようなことがいつまでも続くことを耐え忍ぶことはできない。
手前勝手なようだが、ユダヤ人はこの日本人の特性をある程度理解でき、したがってそれなりのお返しを日本人にできる唯一の外人であると自負している。
私は結論として、当分の間日本人は外人に対して美徳を与えることは差し控えて、外人以上の低次元の感情的、非理性的、本能的な態度でもって外人に接するべきではないかと考える。そのような美徳は何もわからない外人にタダで与えるより、日本人のコミュニティの中で一日も早く復活させるべきではなかろうか。私はそう考えるのだが、しかし現実には日本人はなかなかそういうふうに割り切れないということも十分知っている。割り切れないということが、またしても日本人の理性的高尚さの証左であろう。
どこをどうつついても、西洋人は日本人には頭が上がらないのである。
■麻雀の「ツキ」を理解できるのはユダヤ人だけ
外人は麻雀は分からんだろうと日本人は思われるかも知れないが、どうしてどうして、さにあらずである。我々ユダヤ人は麻雀が大好きなのである。在米ユダヤ人で麻雀のことを知らない者はない、といっていいだろう。また、アメリカに雀狂が意外に多いのを発見して驚かれる日本人が多いが、彼らはまずユダヤ人だと思って間違いはない。
もともとは、上海のユダヤ人グループがアメリカへ広めたのがことのおこりである。私も上海時代におぼえたのであるが、日本でいま一般的に行われているルールの中で、ユダヤ人が創った役が2つあるのをご存知だろうか。「七対子」と「緑一色」がそれである。
三枚一組を原則とする麻雀の本質からすれば、二枚一組の七対子は中国古来の役でないことはすぐ分かるであろう。
また役満の緑一色も役満としての本来的意義はない。大三元にしろ四喜和にしろ、それぞれ三元牌全部とか風神全部といったヴァイタルな意義がある。ユダヤ人が創った緑一色にはそのような意義はない。いわば風流役とでもいったらいいだろうか。いずれにせよ、これらが日本ですんなり受け入れられて人気役になっているのははなはだ嬉しいことである。
西洋人が麻雀を理解できないのは「ツキ」というものを理解できないことにつきる。だが、ユダヤ人は「ツキ」を理解できるのである。「ツキ」にこそ麻雀の面白さは集約されているのである。理屈で麻雀を考えるほど、ユダヤ人は野暮ではないのである。
また、よくいわれる「引きが強い」というのも分るのである。技術的に秀れた者、つまり強い者ほど「引き」も強いようである。これを理屈で説明しろといっている間は、西洋人は決して日本人というものを理解できないであろう。これは決して論理の飛躍ではない。その証拠には日本の戦前の良さを理解できるユダヤ人は麻雀の面白さも十分分かるではないか。
第1章
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