ヘブライの館2|総合案内所|休憩室 |
No.b1fha814
作成 2005.1
●ヒトラーの側近の一人であるSS長官ハインリヒ・ヒムラーは、魂の「輪廻転生」を信じており、自分を10世紀のドイツ王ハインリヒ1世の生まれ変わりだと考えていたことで知られている。
(左)SS長官ハインリヒ・ヒムラー
(右)ルーン文字で表記したSSのマーク
ヒムラーの若い頃からのオカルト大好きな性格は、
異常なまでに熱を帯びていたことで知られる。彼は敬虔な
カトリックの家庭に育ち、熱心なカトリック教徒として成長
したが、ナチ党に入党してからは徐々にキリスト教とは距離を
置くようになり、「古代ゲルマン異教思想」に染まっていった。
彼はSSの隊員たちをキリスト教から引き離そうと試みたが、
結局彼らをキリスト教から引き離すことはできなかった。
(ヒムラーの空想的な「異教思想」は他のナチ党幹部
にも受けが悪かったといわれている)。
●夢のなかでヒムラーは、しばしば王と会話を交わしたと信じ込み、この幻想は次第にエスカレートしてゆく。
彼はこの王をゲルマン民族の英雄として崇拝し、「ハインリヒ1世記念財団」を設立。1936年には王の1000年忌を挙行し、1937年になると王の遺骸発掘を実行するまでになる。
1936年、ケドリンブルク大聖堂にある
ハインリヒ1世の霊廟を訪れたヒムラー
※ ヒムラーは自分を10世紀のドイツ王
ハインリヒ1世の生まれ変わりだと考えていた
●また、1936年にSS(ナチス親衛隊)の幹部たちを前にして行った演説で、ヒムラーは「我々は皆かつてどこかで既に出会ったことがあり、同様にして来世においても再会するであろう」と述べている。
すなわち、ヒムラーはSSをカルマを共にした一種の「転生共同体」と考えていたようである。
ナチス親衛隊(SS)の隊員たち
●では、第三帝国の総統アドルフ・ヒトラーはどうか?
ごく限られた側近たちが集まる席で、あるときヒトラーは次のように語ったという。
「死後の意識の存在を肯定する者には、魂の再生はその理論的帰結にすぎない。そして、古今東西の賢人たちは、それを行動の指針と考えていたのだ」
「〈立法者〉としての私の知恵、〈戦略家〉としての私の能力、〈建築家〉としての私の才能──。これらすべての私の属性が、私のこの短い一生のあいだに蓄積されうると考えられるかね? そんなことはとうてい不可能だ!
私はこれまで何回となく人生を送っているのだ。そしてそのそれぞれの自分で学び、進歩し、その教訓を無意識の中にたくわえてきた。
私がこの人生で偉大な業績をあげることができるのは、私がその無意識の中にたくわえてきた知恵を引き出す〈術〉を知っているからなのだよ」
アドルフ・ヒトラー
●驚くことに、ヒトラーもまた魂の「輪廻転生」を信じていたのである。
しかも、自分の卓抜した才能は〈この短い一生〉で身につけたのではないという。何回もの前世で学んだことを、無意識の中からくみ出すことができたのだという……。
●ヒトラー研究家のマイケル・フィッツジェラルドによれば、
ヒトラーは、青年時代に自分の前世探しに熱中し、赤ひげ王フリードリヒ1世(バルバロッサ)か、アラリクス王か、ドイツの過去の偉大な英雄の誰かではないかと考えていたという。
◆
●ところで現在、「前世療法」のセラピストとして活躍している宮崎なぎささんは、
『輪廻する歴史 ─ 巨大ソウルメイト集団が800年ごとに転生する』(アウル企画)という本を書き、地形と歴史という視点からのユニークな「過去生論(=再生歴史学)」を紹介しているが、彼女はヒトラーの前世について、まるまる一章を費やして興味深い見解を提示している。
(左)宮崎なぎささん (右)彼女の著書
『輪廻する歴史』(アウル企画)
●以下、彼女の「ヒトラー論」を簡単に紹介したいと思うが、当館は、彼女の見解が全面的に「正しい」と主張するつもりは毛頭ない。
荒唐無稽に感じるかもしれないが、1つの“仮説”として“参考”程度に読んで欲しい(^^;
以下は彼女の本からの抜粋である(各イメージ画像は当館が独自に追加)↓
── ヒトラーが持つ中世の王の波動 ──
再生十字軍国家であるドイツには、アドルフ・ヒトラーという巨大なカリスマが現れました。
このカリスマの登場した影響は大きいでしょう。なぜヒトラーは生まれたのでしょうか? ドイツの民衆はなぜ、このカリスマに従ったのでしょうか?
ヒトラーに従う心の仕組みを解明することは、二度と戦争を起こさないためには非常に大切なことでしょう。
ヒトラーが強大な権力を持っていたことから、彼がかつてドイツ王、さらに神聖ローマ皇帝だったことは、容易に想像できます。ヒトラーの伝記を読むと、民衆がいかにヒトラーを英雄視していたかがわかります。
たとえばこんな具合です。
「党の集会で、若い党員たちはヒトラーの目を引こうと競い合った。親衛隊の警備をかいくぐり、手を伸ばしてヒトラーに触れた党員の一人は、感激のあまり《ハイル》の声を出せないほどだった。この時、数秒間、ヒトラーは彼をみつめ、しばらく彼の手を握ったのだが、彼の幸運に気づいた仲間たちは彼を取り囲み、全員がヒトラーの右手に触れた彼と握手したがったのである。
また、別の事例では、ヒトラー自身の手から赤いカーネーションの小さい花束を3つもらった党員は、わずかに残った花びらのいくつかを記念品として自宅に持ち帰るだけで満足しなければならなかった。彼の仲間たちが花束を奪い取り、その花を手に入れようとしたからである。
まさに、中世の王侯が、彼に触れることで病気が治ると考えられていたことを思い出させる疑似宗教的行動であった……」(『ヒトラー神話』イアン・ケルショー著/刀水書房より)
ヒトラーが「ドイツ王」だったとすれば、これらの民衆の熱狂ぶりももっともでしょう。
カリスマは、偶然にカリスマになるわけではないし、カリスマを崇拝する人々は、催眠術をかけられたわけでも洗脳されたわけでもありません。過去に崇拝していた者を、再び崇拝しているだけなのです。これが継続のカルマです。
独裁者を崇拝する心の仕組みと、かつての恋人を再び愛してしまう心の仕組みは、まったく同じものです。かつて殺した人を再び殺してしまいたくなるのも、やはり心の仕組みとしては同じです。どちらが間違っていてどちらが正しい、というものではありません。
大切なのは、人の心には慣性の法則があるということを理解し、それを一つでも無くしていくことです。
20世紀、ドイツは外国への侵略を進める一方、国内でもユダヤ人迫害を大規模に繰り広げました。
中世ドイツも第一回十字軍の前に、自国のユダヤ人虐殺を行っています。
また、教皇と仲直りした後は、今度はローマ教皇の命令のもとに、各地の異端者(つまり同じキリスト教徒)やユダヤ人の虐殺を行いました。また、歴史上に名を残す異端者狩人、コンラート・フォン・マールブルクなども、神聖ローマ帝国の人です。〈中略〉
ヒトラーはカトリックを攻撃しましたが、一方で、自分はキリスト教の保護者だと主張しました。実際にヒトラーを支持する高位の聖職者もたくさんいました。
歴史家たちを悩ませるヒトラーに対するキリスト教会の態度も、神聖ローマ皇帝に対する態度と重ねると理解できます。
神聖ローマ皇帝は教皇派の聖職者が大嫌いでしたが、皇帝派の聖職者は保護したのです。しかし、イスラム教徒を打ち破る王としては、どちらからも支持されていたのでした。中世では教皇派と皇帝派の二勢力は、いずれもパンフレットを作って、宣伝合戦を繰り広げました。ナチスが宣伝が得意なのは、中世でも発揮された能力なのかもしれません。
── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ──
では、ヒトラーは中世のどの王なのでしょうか?
中世ドイツの場合、神聖ローマ帝国としての誇りから、十字軍以前からどの王もまず反ユダヤ(これはキリスト教によって権威を保つ王として当然)、次に反ローマ法王、そして反ヨーロッパ諸国の傾向が強いのです。十字軍に参加しており、反ユダヤで、ローマ法王と戦うという、ヒトラーの候補になる中世ドイツの王は数人います。彼らの細かい性格や生活習慣を比較することができないので、別の点に注目しましょう。
ヒトラーは水を恐れていました。戦いの最中にも、彼は水に関する不幸に出くわすと恐れていたのです。これは明らかに水死者のトラウマ後遺症です(※注)。
ヒトラーはどうやら、過去生で水死しているようです。
十字軍時代の歴史の中で、水死した王の話は、たった一つだけです。
しかもそれは奇しくもドイツ王なのです。それは、第二回十字軍と第三回十字軍に参加したシュヴァーベン公フリードリヒ1世、通称フリードリヒ・バルバロッサ(赤ひげ王)です。
※ 注:このヒトラーの「水」に対する恐怖症については『チャーチル ド・ゴール ルーズヴェルト』山上正太郎著(社会思想社)に次のような記述がある。「別に対イギリス作戦と結びつけるつもりはないが、また、意外なことかもしれないが、ヒトラーは海を、水を恐れていた。『地上では私は英雄だ、海では臆病者だ…』との言葉も伝えられ、またナチス首脳ハインリヒ・ヒムラーによれば、ヒトラーは水と結びついたある不幸にいつか出くわすと信じていたり、あるいは艦船などに乗って岸を離れるとき、度々、かなりの不安を示したという。」
シュヴァーベン公フリードリヒ1世
通称フリードリヒ・バルバロッサ(赤ひげ王)
バルバロッサは1123~1190年没で、1152年にドイツ王、1155年に神聖ローマ皇帝に即位しています。ヘンリー2世と同時代の人です。ブルグント王国(フランスのブルゴーニュ)を婚姻によって無血で手に入れたので、ブルグント王でもあります。
1147年の第二回十字軍のとき、中世ドイツはトルコ軍と戦うためにビザンチンに来ましたが、ビザンチンは十字軍を冷遇したばかりでなく、トルコと組んで、トルコに十字軍を攻撃させたのでした。ドイツ王コンラートの恨みは深く、従軍していた甥のバルバロッサにビザンチンに報復するよう命じています。
1152年にバルバロッサは王位につきます。それから、皇帝位をめぐって、ローマ法王とヨーロッパで17年もの長い戦いを続けます。
それを終えた後、1189年、67歳で第三回十字軍に出発します。クルジュ・アルスラーン2世支配下のトルコを破竹の勢いで通り抜けましたが(ドイツとしては初めての本格的トルコ戦)、エルサレムにたどり着く前に彼は小アジアの川で水死してしまいます。〈中略〉
ヒトラーはソ連侵攻作戦の名に「バルバロッサ作戦」と名付けています。
もちろん、フリードリヒ・バルバロッサにちなんで付けられた名前です。何度も繰り返すようですが、名前は偶然にはつけられません。必ず意識下の影響を受けています。
1941年6月の「バルバロッサ作戦」の指令は、ドイツの敗北を運命づけました。20世紀のドイツがヨーロッパ各地で戦いながら、なぜソ連と開戦したのかは、これまた歴史上の謎のひとつです。ドイツはその前に、ソ連と不可侵条約を結んでいたのですから。
しかも、ドイツは何を血迷ったのか、1941年末、日本の真珠湾攻撃の3日後にはアメリカにまで宣戦布告するのです。〈中略〉
ヒトラーのソ連侵攻作戦=「バルバロッサ作戦」
ヒトラーとバルバロッサの関係は、民衆が強波動ソウルに従う仕組みを鮮やかに教えてくれます。
ドイツでは、チューリンゲンのハルツ山地のキフホイザーに眠るバルバロッサが、世界の終末に神聖ローマ帝国を再び復活させるという伝説があります。特に、19世紀のナポレオン時代には、この伝説はドイツの希望の星となったということです。
過去生で成し得なかったことを再びやり直そうとして生まれ出たヒトラーを迎えたのは、バルバロッサを待ちこがれていた民衆でした。ヒトラーが演説をすると、その内容にかかわらず、民衆は熱狂してしまいます。中世の王の演説に興奮する継続のカルマが現れるのです。
強波動ソウルは民衆の第二層の記憶を第一層に引き上げる役目をします。強波動ソウルのしていることは、ただそれだけとも言えます。民衆はこうした残虐な人格を生み出すことに、なんの責任もないわけではないのです。自らがその登場を望み、権力を与えたのです。
かの有名なエドガー・ケイシーは、20世紀と12世紀、そして4世紀から始まるゲルマン民族大移動時代が同じ星の影響を受けていると述べました。
20世紀に12世紀の伝説が蘇ったように、12世紀にも5世紀の伝説が蘇る現象が起こっているのは興味深いことです。
エドガー・ケイシー
(1877~1945年)
催眠透視という特殊な能力を持つアメリカ人で、
彼の膨大なリーディング記録は、現在でもバージニア州にある
「ARE(エドガー・ケイシー財団)」に保管され、一般公開されている
ゲルマン民族大移動時代の英雄、フン族の大王アッティラの伝説に基づいて作られた叙事詩『ニーベルンゲンのうた』は、12世紀末のドイツのバイエルン(またはオーストリア)で作られたものだということです。
この話はフン族エッツェル王(アッティラがモデル)の妃になったブルグント王国の王妹クリームヒルトの復讐とブルグント王国の滅亡を描いています。このアッティラは東西ローマの侵略者で、特にローマ(市)に進撃しようとして非常に恐れられました。東ローマが西ローマに援軍を送ったので、アッティラはローマ遠征軍を引き返し、次に東ローマ侵入を企てましたが、それを成す前に突然血を吐いて死んだといいます。
このアッティラとヒトラーの関連を探るのもまた、おもしろそうではありませんか。
西ローマをイギリス、東ローマをアメリカと置き換えれば、ヒトラーにつながりそうです。
この『ニーベルンゲンのうた』は、19世紀のドイツで楽劇化されています。
ワーグナーの『ニーベルングの指環』もその一つです。
注目すべきは、ワーグナーはこの楽劇を書く前にバルバロッサの劇化を試みましたが、それをあきらめて『ニーベルングの指環』を書き始めたということです。おそらくワーグナーは、鋭い感覚で、バルバロッサとアッティラの二人が同じ波動を出していることを感じとっていたのでしょう。
また、ヒトラーが党大会ではいつもワーグナーの曲をかけていたことは有名な話です。ワーグナーは過去生でもバルバロッサの宮廷か教会で音楽を作っていたのかもしれません。
ドイツ人たちはワーグナーの楽劇を見ながら、深い心の底で、800年前の移民、侵略、世界支配の記憶を蘇らせ、ヒトラーを迎える準備をしていったことでしょう。
リヒャルト・ワーグナー
(1813~1883年)
ドイツの作曲家・楽劇の創始者。
新しい音楽のスタイルである「楽劇」を
創設し、その素材を「ゲルマン神話」に求めた。
四部作『ニーベルングの指環』『トリスタンとイゾルデ』
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『パルジファル』など
の楽劇を完成させて「ドイツ・ロマン派オペラ」の頂点を築いた。
こうして、ある種の文化に親しむうちに、過去生の記憶が増幅されます。
19世紀から20世紀に再生したドイツのソウルたちの記憶は「移民戦争」でした。このように、文化的なものが陰で戦争に影響を与える現象は、多々あります。〈中略〉
では、ヒトラーはなぜバルバロッサの時代からユダヤ人虐殺をしたのでしょうか。また、彼のアーリア人至上主義とは何でしょうか。それについては、この一連の戦争の一番最初の元となったアトランティス時代を見なければならないでしょう。
日本の戦争指導者たちにしろ、ヒトラーにしろ、移民地を求めて国が滅びることさえも厭わなかったのは、もしかすると、沈みゆくアトランティスの彼らの土地から民衆を必死に守ろうとした遠い記憶のせいだったのかもしれません。
ドイツや日本の民衆が彼らに従ったのは、彼らがアトランティス時代には心正しき人だったからかもしれません。彼らの行為は、おそらくアトランティス時代では意味のあるものだったでしょう。しかし、現代ではその理由を忘れて、ただ結論先行の法則のままに、必然性もなく侵略を繰り返してしまったのです。〈中略〉
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広島の原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と書いてあります。私は何度この言葉を読んだことでしょうか。この悲劇がなぜ起こったかを知らずして、本当に繰り返さない、と誓うことはできません。
しかし、世の中は、この悲劇を本当に繰り返さないとはとても信じられないことばかりです。政治家が、教育者が、評論家が、知識人が、次の悲劇につながる言動をし、それが正しいことのように受けとめられてさえいます。特に、弱者や外国人から見れば残忍な殺戮者である人々を、その国では英雄視するということが、私にはどうにも耐えられないことでした。
しかし、私自身もついこの前までは、伊藤博文のお札を何の疑問もなく使っていましたし、ヒトラーを突然変異の精神異常者だと思っていたのです。
これらの無知が次の悲劇につながり、再びユダヤ人や原爆の被害者のような人々を生み出すということを、私は知りませんでした。誰も教えてくれなかったのですから!
私たちが生まれ変わりの真理を受け入れ、自分たちがどんな過去生を生きてきたかを考え、継続のカルマや結論先行の現象という心の仕組みを理解し、他人のせいにすることなく、謙虚に自らの犯した間違いを認めて初めて「過ちは繰り返しませぬから」と誓えるのでしょう。
偽物の誓いは一億あっても戦争被害者を癒しません。一人でも二人でも、真の誓約者が必要なのです。神は決して、私たちが間違っていたことを非難しません。間違っていないと考えることをただすのです。〈後略〉
以上、宮崎なぎさ著『輪廻する歴史』(アウル企画)より
── 当館作成の関連ファイル ──
◆「第六感」と「輪廻転生」を信じていたアメリカ陸軍の猛将パットン将軍
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