ヘブライの館2|総合案内所|休憩室 |
No.b1fha900
作成 2001.7
第1章 |
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第2章 |
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第3章 |
「レーベンスボルン計画」 |
第4章 |
~「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレ博士~ |
第5章 |
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第6章 |
ナチスとアメリカの優生学者は
親密な関係にあった |
第7章 |
遺伝子操作の未来像
~「第2人類=ジーンリッチ」の出現~ |
第8章 |
遺伝子工学に忍び寄る
“ナチスの亡霊” |
第9章 |
人類の分岐 ─「人類の二極化」現象
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おまけ |
映画『ガタカ』について
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おまけ |
「インディゴ・チルドレン」について
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おまけ |
『人体改造の世紀 ─ ヒトゲノムが
切り開く遺伝子技術の功罪』 |
おまけ |
ヨーゼフ・メンゲレ博士を描いた
映画『マイ・ファーザー ~死の天使~』 |
おまけ |
「遺伝子ドーピング」について
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おまけ |
『ポスト・ヒューマン誕生』の紹介
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おまけ |
新人種「ブルー児童」について
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■■第1章:ドイツ優生学の成立
■近代優生学の誕生
●1883年、イギリスの科学者フランシス・ゴルトンが「優生学(eugenics)」という言葉を作り出した。ギリシア語で「良いタネ」を意味する。
近代優生学の創始者
フランシス・ゴルトン
(1822~1911年)
イギリスの科学者で、「優生学」という
言葉を作り出した。祖父は医者・博物学者の
エラズマス・ダーウィンで、進化論で知られる
チャールズ・ダーウィンは従兄にあたる。
●「優生学」とは、劣等な子孫の誕生を抑制し優秀な子孫を増やすことにより、単に一個人の健康ではなく一社会あるいは一民族全体の健康を計ろうとする思想をいう。それゆえ、「優生学」は「民族衛生学」とも呼ばれる。
1895年、ドイツの優生学者アルフレート・プレッツ博士が『民族衛生学の基本指針』を出版。「民族衛生学」という言葉が初めて用いられた。このプレッツ博士の著書は「ドイツ優生学」の出発点となった。
アルフレート・プレッツ博士
(1860~1940年)
彼の著書『民族衛生学の基本指針』は
ドイツ優生学の出発点となった
●1905年、ベルリンに世界最初の優生学会である「民族衛生学協会」が誕生。
同様の優生学会はイギリスやアメリカにも相次いで誕生した。
●この「民族衛生学」について、お茶の水女子大学教授の山本秀行氏は、著書『ナチズムの時代』(山川出版社)の中でこう述べている。
「アーリア人の優秀さなどを主張する人種主義は、今では非科学的にみえる。しかし、当時、人種と遺伝学、医学との結びつきは新鮮なものであった。
ドイツ版の優生学である『民族衛生学』の講座は、1923年にミュンヘン大学で開設されたばかりの、最先端の科学であった。
生殖や生命を社会的にコントロールし、社会問題を、生物学的、医学的に解決しようとする考え方は、多くの知識人や若い学生たちを引き付けたのである。〈中略〉この時代は、科学主義の時代であった。科学が人々を説得する有力な武器となったのである。ユダヤ人についての伝統的な偏見も、この時代には生物学や、人類学などの科学と結びつき、人種的な要素が前面に出てきている。」
■ベルリンに設立された「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」
●1927年9月、「ドイツのオックスフォード」と呼ばれたベルリン=ダーレムに
「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」が設立された。
1932年の「人種研究」の様子
ナチス政権誕生前にドイツ・キール大学の学者
たちは近隣の村で「人類学調査旅行」を行っていた。
この調査の財政的出費をしたのは「ドイツ学術緊急援助会」
(今日のDFG)で「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・
人類遺伝学研究所」はヴォルフガング・アーベル博士を
代表者にして、これに深く関与していた。
●当初、この研究所は3部門に、後には4部門に分かれ、初めから研究成果の「政治的転換」を意図していた。
※ ナチス時代の1942年までの研究所長はオイゲン・フィッシャー博士であった。
◎人類学部門……オイゲン・フィッシャー博士(初代所長)
◎人類遺伝学部門……オトマール・フォン・フェアシュアー博士(2代目所長)
◎優生学部門……ムッカーマン博士、レンツ博士
◎実験遺伝病理学部門……ナハッハイム博士
解剖医で人類学者のオイゲン・フィッシャー博士
(1874~1967年)
1908年、彼は南西アフリカのドイツ植民地で実施された
フィールドワークでブーア人とホッテントットの祖先をもつ混血の
レーオボートと呼ばれる種族を調査した。1913年の彼の研究報告書の
最後の章には『混血の政治的意味』というタイトルの下にこう書かれていた。
「私たちは人種の混血についてまだあまり多くを知らないが、はっきりわかっている
のは次の点である。すなわち、劣等種族の血を受け入れたヨーロッパ民族は──黒人、
ホッテントットなどは劣等人種であり、このことを否定するのは空想家だけである──この
劣等要素を受け入れたことによって精神的・文化的衰退をこうむった、ということである。
こういう劣等種族の人間には保護を与えられてはならない。せいぜい彼らが我々の役に立つ間
のみ与えられていいだけだ。さもないとここで自由競争が──つまり没落が始まるからだ」
(左)1933年1月30日に誕生したヒトラー政権 (右)ナチス・ドイツの旗を掲げる
「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」(1935年頃)
■■第2章:ナチス・ドイツの「安楽死計画」
■安楽死計画 ─ 暗号名「T4作戦」
●ナチス・ドイツの「優生思想」で、障害者や難病の患者は「安楽死計画」の犠牲になった。
1939年から1941年8月までに、約7万人の障害者が「生きるに値しない生命」として、抹殺された。
「安楽死計画」の事務所(中央本部)がベルリンのティアガルデン4番地の個人邸宅を接収して、そこに置かれたことから、この計画は暗号で「T4作戦」と呼ばれた。邸のかつての持ち主であったユダヤ人は、一文の補償金もなしで追い出された。
ポツダム広場の「コロンブス・ハウス」にも幾つかの事務室があった。
↑ナチスが作った宣伝用ポスター
椅子に腰かけた脳性マヒとおぼしき
男性患者の後ろに、健康かつハンサムな
ドイツ青年が立ち、かばうように患者の肩に
手を置いている。そして「この立派な青年男子が
こんな我々の社会を脅かす〈病んだ人間〉の世話に
専念している。我々ドイツ人はこの図を恥ずべきでは
ないのか?」というキャプションが付けられている。
※ ナチス・ドイツ社会では遺伝性疾患をもつ人が
いかに「民族共同体」に負担をかけているか、
意味もなく国民の大事なお金を使う存在で
あるかが強調されたのであった。
●「T4作戦」の責任者であった総統官房長フィリップ・ボウラーと、ヒトラーの侍医カール・ブラント博士は、全ドイツの障害者施設に全収容者に関する調査書を送り、記入されて返ってきた患者のリストを専門家に評価させ、「+」ないし「−」記号によって障害者の運命を決める規則の細目を作成した。
ヒトラーの侍医の1人である
カール・ブラント博士
※ 第三帝国の厚生政策の要職にあり、
「T4作戦」の責任者であった
●T4本部には少なくとも60人の専任の医者と300人のスタッフが働き、ハダマーなど6ヶ所の精神病院に「安楽死施設」が設けられた。
T4は、いくつかの特別重点部門を組織したが、その一つが「公共患者輸送会社」(略称:Gekrat)だった。この部門の責任者であるラインホルト・フォアベルクは、帝国郵政省から借り受け「灰色」に塗り直したバスを、ドイツの旧領土中およびポーランドの占領地域にまで送り、各地の精神病院から患者を「安楽死施設」に移送した。
(左)ドイツのヘッセン州にあるハダマーの精神病院。「T4作戦」の舞台となった。
(右)各地の精神病院から患者を「安楽死施設」に移送する灰色のバス2台。
バスは快適に内装されており、中が外から見えないように覆われていた。
移動の時間が長い時は、患者に熱いコーヒーの入った
魔法瓶とサンドイッチが準備されたという。
『灰色のバスがやってきた』
フランツ・ルツィウス著(草思社)
※ この「T4作戦」は、1941年8月にヒトラーの命令で突然中止となった。
『恐ろしい医師たち ─ ナチ時代の医師の犯罪』(かもがわ出版)の著者ティル・バスチアンによれば、「中止理由は色々憶測されてはいるが、今日でも完全には明らかになっていない」という。
『灰色のバスがやってきた』(草思社)を書いたジャーナリスト、フランツ・ルツィウスによれば、中止命令が出された1941年8月以降も、障害者はもっと陰湿な方法で殺され続けていたという。
■ドイツの医者の半分近くはナチ党員だった
●ところで、当時、ドイツの医者の半分近くはナチ党員だった。
これほどナチ党員の割合の高い職業は他になかった。「T4作戦」には著名な医学教授や精神病教授、高名な医者が参加に同意した。医学界の指導者のみならず相当数の医者も詳細な説明を得ていた。
ドイツの医学界は上も下も計画に対して語るに足る反対を行わなかったし、邪魔立てもしなかった。一般市民から、精神病患者の殺害に抗議する手紙、嘆願書が多くあった中で、ゴットフリード・エヴァルト教授からの手紙を唯一の例外として、精神病医からの抗議はなかった……。
ナチスが学校教育で用いた図=「劣等分子の重荷」
※ この図にはこう書かれている。
「遺伝病患者は、国家に1日あたり5.50マルクの
負担をかけている。5.50マルクあれば遺伝的に
健康な家族が1日暮らすことができる」と。
●1988年に、ペンシルベニア大学のロバート・プロクター教授は、ナチス・ドイツの医学犯罪の実態を描いた本『人種衛生 ─ ナチスの医学』を刊行したが、彼はこの本の中で、
最も野蛮な「保健措置」の多くが医者の発案によるものであったこと、その医者たちは無理やりナチスに協力させられたのではないこと、医者たちはヒトラーに利用されたのではなく、むしろ率先して事に当たっていたという事実を指摘している。
庭園で心穏やかな一時を過ごす
「T4作戦」の医学関係者
※ 彼らはヒトラーに利用されたのではなく、
むしろ率先して事に当たっていたという
●また、アメリカのロバート・リフトン医学博士も次のように述べている。
「ナチスの精神医学者は、医学的理想主義を追求した。その姿勢は真摯とも言えた。
ナチス・ドイツの強制断種手術のもととなる理論を唱えたのは、エルンスト・リュディンという有名な精神医学者だった。悪い遺伝子を取り除く強制断種手術は、精神の病を根絶するという夢の成就に一役買ってくれるとリュディンは信じていた。
一方、精神病患者を殺すための理論的根拠は、1920年、ドイツの著名な精神医学者アルフレッド・ホッヘと、同じく著名な法律家カール・ビルディングによって書かれたプレ・ナチ的な本の中で示された。
それによれば、精神医学的見地から“生きる価値がない生命”と判断された人々は破壊してもよいという。〈中略〉
私がインタビューしたあるナチスの医師によれば、ナチスのプロジェクト全体が『応用生物学にほかならない』とみなされ、広い意味で生物学的真理を追究するものとされたのだ」
エルンスト・リュディン博士
1905年、ベルリンに世界最初の優生学会
「民族衛生学協会」を創設。1933年、ナチ内務大臣
フリックのもとで、「断種法」の起草・制定に指導的な立場
から参画。精神分裂病の遺伝学的研究の世界的権威であり、
ナチ党員であったリュディンは、1934年以後、終戦に至るまで
「ドイツ精神神経学会」の会長職にあり、自ら起草した「断種法」の
熱心な遂行者であり、「安楽死論」の支持者であり続けた。
■■第3章:優れた人間を“生産”するための「レーベンスボルン計画」
■「アーネンエルベ」による人種・遺伝問題の研究
●ナチス・ドイツの様々な組織の中にあって、ひときわ異彩を放っているのが「アーネンエルベ」である。正式名称は「ドイチェス・アーネンエルベ(ドイツ古代遺産協会)」で、1935年にナチス親衛隊(SS)の長官ハインリヒ・ヒムラーらによって設立されたナチス・ドイツの公式研究機関である。
1939年に「アーネンエルベ」はSSに吸収され、SSの他のセクションと同等の支部にまで昇格し、ヒムラーの個人的傾向と相まって、いわばSSの研究教育団体として認知されるに至った。
(左)「アーネンエルベ」本部 (右)「アーネンエルベ」のエンブレム
本部はベルリン郊外のダーレムにあり、SS長官
ヒムラーが集めたナチスの御用学者たちが、ドイツの大学の
カリキュラムを監視するとともに、アーリア人の優勢を科学的に証明し、
祖国で陳列して崇められるようなドイツの美術品や遺物を
収集するために、海外に調査団を派遣していた。
●多岐にわたる「アーネンエルベ」の研究項目の中で、ぞっとするのは「人種・遺伝問題研究部」である。捕虜の生体実験をはじめ、数々の非人道的研究実験が行われ、数多くの人間が実験台にされて苦悶のうちに死んでいった。「アーネンエルベ」の事務長、ウォルフラム・フォン・ジーバス博士は、黒いアゴ髭をはやし、ファウスト伝説の悪魔メフィストフェレスにそっくりだった。
「アーネンエルベ」の事務長
ウォルフラム・フォン・ジーバス博士
※ 戦後、連合軍に逮捕されて処刑された
●優越民族アーリア人種の純血保存のために“劣等民族”を絶滅させる目的で、最初の断種実験が行われたのは、アウシュヴィッツ収容所の囚人に対してで、薬剤、外科手術、さらには強力なX線照射などで効果を試してみたという。
1941年には、ストラスブルク大学解剖学研究所の依頼で、東部戦線での捕虜多数の頭蓋骨を綿密に測定した上で、頭蓋骨を傷めない方法で死に至らしめ、頭を切り離して、ブリキ缶に入れて密封し、同研究所まで送ったという。ジーバス博士はニュルンベルク裁判で、この点を追及され、「人類学上の測定」をしたのだと答えている。
アーリア人か否かを識別するために
使用された頭蓋骨測定装置「プラトメートル」
ベルリンの医学研究所で行われた人種検査の様子。
定規を使って顔の特徴を測定している。右端の用紙は、
純血アーリア人を証明するための医学カルテである。
ドイツ人と結婚を希望する外国人は、医師が
発行するこうしたカルテが必要とされた。
■レーベンスボルン(生命の泉)計画
●これら“劣等民族”を絶滅させるための研究と並行して、“支配民族”を育てる「交配牧場」なるものを作る計画もあった。IQの高い者同士、または運動能力の高い者同士のSS隊員とゲルマン女性を一緒にして、より優れた人間を作ろうとしていたのである。
(左)SS入隊のための身体検査の様子 (右)「レーベンスボルン」の行事に
参加するSS隊員と「ドイツ少女同盟(BDM)」所属のドイツ人女性
●この計画の1つとして実施されたのが「レーベンスボルン(生命の泉)計画」である。
「レーベンスボルン」は約1万人の会員を擁する9つの支部からなる組織で(その後増える)、1935年にテスト的に設立され、1938年にミュンヘンで裁判所に正式に登録された。SSの一部をなし、SS長官ヒムラーに直属するものになった。
組織の目的はSS隊員にできるだけ多くの子供を持たせること、良き血の母親と子供を助けて未来のエリートを育てることであった。
「レーベンスボルン」の産院
「レーベンスボルン」で生まれた赤ん坊に対して行われた命名式
(洗礼式)の様子。命名するのはSSの将校である。
●「レーベンスボルン」は1939年には、戦死したSS隊員の子供とその母親を保護すると宣言。女性は子供をはらむと身二つになるまで「レーベンスボルン」の手厚い保護を受けた。子供は生まれると同時に、その後は国家が養育するので母親から引き離され、「子供の家」に送られた。
二親の最良の遺伝子を受け継ぐ子供たちは将来ドイツを担うエリートになるはずであった。7歳になると「レーベンスボルン」と緊密に協力する「国民学校」に入学した。
ナチス政権下のドイツの子供たち
※ ナチスは政権につくとすぐに、公立学校を支配下におさめ、
「国民学校」とした。それまでの教科書は破棄され、新しいものが提供された。
カリキュラムも徹底的に変えられ、新しい科目が2つ加わった。「人種学」と「優生学」である。
人種学の授業では「アーリア人種こそが優秀人種であり、ヨーロッパを支配することになっているのだ」
と教えられた。優生学の授業では「アーリア人種は健康なアーリア人種とのみ結婚すべきものであり、
非アーリア人種と結婚して血を混ぜてはならない」と教えられた。また生徒たちは「ユダヤ人は
ドイツに対する脅威であるだけでなく、世界平和に対する脅威でもある」と教えられた。
●1944年になると、「レーベンスボルン」の産院は13ヶ所に増えた。
「レーベンスボルン」で“生産”された子供たちは約4万人と推定されている。
(左)SS長官(総司令官)ハインリヒ・ヒムラー
(右)模範的な母親に授与された「ドイツ母親名誉十字章」
ヒムラーはSS隊員の結婚について「できるだけ早く結婚して多くの
子供をつくるべきであり、数が増えれば育種失敗作も増えるであろうが、
人数が少ないよりはよい」と述べていた。彼は出産を奨励するために
「ドイツ母親名誉十字章」を制定した。4人の子供を出産すると
銅章、6人で銀章、8人で金章が授与された。金章受章者は
自由にヒトラーに面会できたと言われている。
●ところで、子供を組織的に“生産・飼育”してみたところで、時間がなんといっても10ヶ月以上もかかり、ナチ幹部たちはもどかしさを感じていた。
そのため、SS長官ヒムラーはもっと手っ取り早い方法を考えるようになる。
1940年5月にヒムラーは、東方の子供たちを毎年人種選別する計画を立て、1941年の後半から、占領地区で「アーリア的」な子供を探して誘拐することを開始したのであった。
その初めがルーマニア、バナトゥ地方の25人の子供たちで、彼らは「人種的ドイツ人移住センター」を経由し、ドイツの「ランゲンツェル城」に連れてこられた。着いてすぐ詳しい身体検査をされ、その後、優秀とみなされた、つまり「レーベンスボルン」が引き受ける子供と、「レーベンスボルン」が引き受けない、労働に回される子供とに分けられたのである。
●戦争中、ドイツに占領されたポーランド西部の町々ではナチスにより2歳から14歳までの少年少女が大勢さらわれたが、その数は20万人以上と言われている。
大変に特徴的だったのは、その子供たちがみな青い目で金髪であったことである。彼らは名前をドイツ名に変えられ、修正された出生証明書とともに、選ばれた家族の元に送られた。子供の多くは本来の家族の元に帰されることはなく、さらに彼らは自らがポーランド人であることも知らなかった。(このため、戦後になると両親とも不明の孤児が多数出現するという悲惨な事態を招いた)。
◆
●このような悲劇を体験した1人に、ポーランド生まれのアロイズィ・トヴァルデツキがいる。
(左)アロイズィ・トヴァルデツキ(ポーランド人)
(右)彼の著書『ぼくはナチにさらわれた』(共同通信社)
彼はポーランドに帰国後、ワルシャワ大学ほかを卒業。
大学の助手、通訳などを経て、現在、会社社長。
●彼が自らの体験をつづった本『ぼくはナチにさらわれた』によれば、彼はポーランドで4歳の時にナチスにさらわれ、ドイツの孤児院を経て、子供のいないドイツ人の家庭に養子にもらわれたという。そしてそこでドイツ人として育てられ、ナチス礼賛の少年として成長したという。
しかし、戦後11歳になった時に、自分がポーランド人のさらわれてきた子供だったと知り、大きなショックを受けたという。
彼はその当時の気持ちを、こう記している。
「『僕がドイツ人じゃない。ドイツ人じゃないだって。僕は……ポラッケ(ポーランド人の蔑称)だっていうのか。馬鹿馬鹿しい。ふざけた話だ。あり得ないじゃないか、僕が──ポーランド人だなんて、はっはっはっ』〈中略〉
私はポーランド人を他のどんな民族よりも下等なものと考えていました。だいいち、我が英雄的な“兵士たち”(ドイツ軍人)にあっては、彼らはたちどころに叩きのめされた負け犬です。〈中略〉
とにかくこの忘れがたい瞬間を私は深い衝撃で受け止め、言いようのない嫌悪感を感じながら、その一方でなぜかこの写真の女性(実の母親)の顔に引き付けられ、心臓が苦しいように打つのでした。」
◆
●この本を翻訳した足達和子さんは、「レーベンスボルン」の実態について次のように記している。
「『レーベンスボルン』の会員になれるのは、男は親衛隊員などの高級将校、女はアーリア人種としての特徴が祖父母の代まで認められた遺伝的資質の優れた者で、のちに枠が拡げられ、ドイツ人でなくてもナチの基準に合えば入れるようになります。大切なのは目の色、髪の毛の色、そしてことに頭の形で、例えば丸い頭の者は全くチャンスがないのでした。〈中略〉
『レーベンスボルン』で生まれた子供たちはエリートになるはず。国の将来を担う人に育つ予定でした。二親の最も優れた遺伝子を受け継ぎ、生まれたときにすでにスーパー人種であるはずです。
実際にそうなったでしょうか?
戦後の調査では驚いたことにそのほとんどに知能や体力の点での後退が見られる……。3歳でまだ歩けない子、まだしゃべれない子、かなりの損傷を持った子供もいるのでした。
ドイツがたとえ戦争に勝っていたとしても、この、子供の『生産』ないしは『飼育』は間もなく中止されたことでしょう。ナチの目論見(もくろみ)がこんなに外れるのでは子供たちを結局どこかの『収容所』で“抹殺”しなくてはならなくなるからです。母胎はこの上なく異常な状況に置かれました。そして出生後も“ヒトラーの子供たち”は『愛』のない養育を受けたのです。
一方、さらってきた子供たちはどうだったでしょうか?
小さいとき青い目で金髪で典型的な北欧タイプの顔立ちをしていた子供たちでも、その後全然違うタイプの顔になり、目や髪の毛の色も濃くなった人がずいぶんいます。また幼いときドイツ語に無理矢理変わらされ、そのために思考に困難を生ずることがありました。大きくなり、ドイツ人ではなかったと分かった子供たちはまた母国語の勉強のし直しで、結局本書の著者のように大学まで行けた子供は数としては少数です。心に深い傷を負った例はことに多いのでした。」
◆
●このように、「レーベンスボルン」のプロジェクトは、理想と現実の間に大きなギャップが存在していたのであるが、ヒムラーが予定していた計画によると、1980年までにドイツは1億2000万人の“純血のドイツ人たち”の国になり、他民族の誘拐してくる子供たちについては「記録を保管する棚」があと600追加されるはずであったという。
足達和子さんによると、戦後のドイツでは、「レーベンスボルン」の擁護者と糾弾者との間で、かなり長く激烈な闘いが展開されたという。擁護者たちが「あれこそ理想的な福祉施設だった、それを非難するとはドイツの顔に泥を塗る気か」と主張するのに対して、糾弾者たちは事実を明らかにしてこそ今後の平和のためであるとし、本や雑誌、そして映画も作ったという。
■その他、優秀な人材を確保するために実行された「医学的実験」
●ところで、ナチスは人間を冷凍保存して一定の時間後に蘇生させるという実験にも、異常な関心を持っていた。これが成功すれば、優秀な人材を冷凍保存して、国家が必要な時に蘇生させ、ナチス千年帝国の存続を確実なものにできるからであった。
この実験に利用されたのは「ダッハウ収容所」に捕らわれていた人々で、被験者を凍らせて死なせたり、凍って死にそうになった人間をまた蘇生させたりした。この「医学的実験」を担当したのは、ジグムンド・ラッシャー博士(ドイツ空軍の軍医)であった。
「ダッハウ収容所」で行われた低温実験の様子
※ この残酷な実験で多くの囚人が亡くなった
●また、この他にもナチスは不気味な「医学的実験」を実行していたようである。
エヴァ・ブラウン(自殺直前にヒトラーと結婚)は、自分の日記に次のような興味深い事柄を記している。
参考までに紹介しておきたい。
エヴァ・ブラウン
彼女はSSの「実験施設」で何を見たのだろうか?
「あまりにも刺激的だった」と語っているが…
「SS少佐ハシュケに付き添われてウーファ映画館へ出掛けた。ニュース映画はとても面白かった。〈中略〉でも、映画より面白いことがあった。少佐のお喋りだった。
映画館を出てから、少佐は『自分はSS直属の「優良少年学校」の運営責任者です。任務は彼らの中から“絶倫男”を選び出し、実験施設で人工授精させることです』と言った。
私はびっくりした。思わず、SSはなぜそんなことをやるの、少年たちは通っているの、などと質問していた。今思うと、ずいぶんデリケートな質問をしたとちょっと後悔しているけど、とにかく面白かった。授精の話になると、ときどき専門用語を使った。さすがに研究者だと思った。
また、博士らしく『アメリカは我々より物質的に豊かかもしれない。だが、我々は〈人間の質〉を高めることができる』などと言った。でも、よくよく考えてみると、少佐のお喋りは難しい専門用語を使った単なる〈いやらしい話〉だったような気がしている。
それにしても、実験が始まったらごらんに入れましょう、と言われ、3ヶ月も経たないうち、連絡が来たのにはちょっと驚いた。でも、もっと驚いたのはあの実験だった。いまさら悔やんでも仕方ないけど、あまりにも刺激的だった。あんなものを見せられるのなら、種馬飼育場にでも行けばよかったと思っている。」(エヴァ・ブラウンの日記/1942年秋、日曜日)
↑ヒトラー政権下のドイツの青少年(性別と年齢に応じた区分)
女性なら10~14歳で「少女団(JM)」、14~18歳が「ドイツ少女同盟(BDM)」、
18歳~21歳が「労働奉仕団」、その後は結婚して主婦となり母となる。男性なら10~14歳で
「少年団(DJ)」、14~18歳が「ヒトラー・ユーゲント(HJ)」、18~21歳が「労働奉仕団」
または兵役、その後は予備役・後備役が待っていた。なお「ヒトラー・ユーゲント」という名称は
14~18歳までの区分を意味するとともに、他の年齢の区分を含む総称でもある。
※「ヒトラー・ユーゲント」について詳しく知りたい方は、当館作成のファイル
「ドイツの少年・少女たちとヒトラー・ユーゲント」をご覧下さい。
■■第4章:双生児の遺伝的特性の研究 ─「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレ博士
■アウシュヴィッツの「生理学・病理学実験研究所」
●ナチス・ドイツには「アーネンエルベ」内の組織とは別に、もうひとつの遺伝学の研究機関があった。「生理学・病理学実験研究所」である。
この研究所は、当時のベルリンで世界的に有名だった「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」(前述)の指導のもとに、1943年5月、アウシュヴィッツ収容所に併設される形で発足した。
ナチスの遺伝学の研究機関「生理学・病理学実験研究所」は、
1943年5月、アウシュヴィッツ収容所に併設される形で発足した
●この所長のオトマール・フォン・フェアシュアー博士は、ヨーロッパでも一流の遺伝学者だったが、また、ヒトラーの人種理論の熱烈な信奉者でもあった。
「わがドイツの他に抜きんでた統率力、これまで築き上げた国力は、人種や遺伝に関する理念の重要性を十分に自覚しているからこそ達成できたものである」と、遺伝学の重要性を力説していたフェアシュアー博士は、双生児の遺伝的特性を研究テーマとしていた。
(左)オトマール・フォン・フェアシュアー博士 (右)遺伝学の重要性を
力説していた彼は、双生児の遺伝的特性を研究テーマとしていた
※ 彼は当初「カイザー・ヴィルヘルム研究所」の人類遺伝学部門の
部長であったが、まもなくその「双生児研究」を拡張したことによって、
国際的名声を獲得した。1936年から1942年まで彼はフランクフルト
大学に新設された「遺伝病理学研究所」の所長を務め、その後、ベルリン
のオイゲン・フィッシャー博士の後を継いで2代目所長に就任した。
●このフェアシュアー博士がアウシュヴィッツに送り込んだ弟子がヨーゼフ・メンゲレ博士である。
「アウシュヴィッツ収容所」の専属医師として、次々と移送されてくるユダヤ人を駅頭に出迎え、穏やかな笑顔をたたえながらユダヤ人を選別していたメンゲレは、人々から「死の天使」と呼ばれて恐れられていた。
メンゲレは師フェアシュアー博士の教示に従って、双生児こそ遺伝や人種の優劣の秘密を解くカギだと考え、彼の双生児の医学実験は実に様々な方面に及んだ。手や足などの切断手術、腎臓などの除去手術、脊椎や腰椎の穿刺、性器の手術、傷口からの故意の感染──チフス菌の注入などを行い、その反応を比較したのである。
(左)「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレ博士
(右)メンゲレ博士の医学実験の対象になった
子どもたち。両端はジプシー(ロマ)の双子姉妹
●このアウシュヴィッツの「生理学・病理学実験研究所」が、遺伝学の分野でどれだけの成果をあげたのかは、一切分かっていない。ソ連軍が迫ってきた1945年1月、メンゲレの実験室は解体され、ダイナマイトで跡形もなく爆破された。個人的な文書や医学論文は注意深くセレクトして梱包され、残りは焼却された。ソ連軍の大砲が遠く轟く中、メンゲレはアウシュヴィッツをあとにしたのである。
そして戦後、メンゲレは連合国側に「第一級戦犯」として指名手配を受けたにもかかわらず、4年間をアメリカ軍占領地域内で過ごし、ナチスの逃亡ネットワークの助けでスイスからイタリアに入国、船でアルゼンチンに渡る。
340万ドルの賞金をかけられ、ドイツの捜査当局とイスラエルの秘密情報機関に追われるが、南米で実業家として成功し、ついに逃げのびて1979年2月、ブラジルの海岸で海水浴中に心臓発作で“自然死”する。
●一方、メンゲレが師と仰いでいたフェアシュアー博士は、戦後、その役割が問題となり、戦争犯罪調査局の尋問を受けた。しかし、彼は帝国学術研究評議会の命令によって合法的な医学研究だけに携わった、と主張。メンゲレの研究に関連した書類や標本は全てナチスによって焼却された、と証言した。
結局、フェアシュアー博士はいっさい罰せられることなく教職に戻り、「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」の戦時中の膨大な研究成果は、闇の中に消えてしまったのである。(アメリカが研究成果を奪い取ったとも言われている)。
ヨーゼフ・メンゲレが師と仰いでいた
オトマール・フォン・フェアシュアー博士
※ 彼は戦後告発もされずに、ドイツの
「ミュンスター大学」の遺伝学教授として
人生を全うし、1969年に亡くなった。
■■第5章:ナチスの医学者たちの戦後
■多くの者たちが罪を問われることもなく「社会復帰」を果たした
●戦後、裁判の場に引き出された当時の医者たちは口をそろえて、「我々は医学の進歩に貢献しただけだ」と主張し、反省の色も見せなかった。
そして、さらに多くの医学者たちが罪を問われることもなく、東西ドイツの医療や教職や研究の第一線の場で活動し続けたのである。
●医師である小俣和一郎氏は、著書『精神医学とナチズム』(講談社)の中で、次のように述べている。
「T4作戦に直接関与した大学教授の大多数が、戦後何らの裁きを受けることもなく『社会復帰』を果たしている。」
「ナチ国家における『最初の安楽死』となったクナウアー事件で犠牲者の主治医を務め、障害児安楽死機関『帝国委員会』のメンバーの一人であったT4鑑定医拳ライプツィヒ大学小児科教授のヴェルナー・カーテル博士は、戦後いちはやく西側占領地域へ脱出した。1947年、彼は中部ドイツ・タウヌス山中にあるマモルスハイン州立障害児療養所で院長の地位を獲得した。1954年、カーテル博士はついにキール大学小児科教授に就任する。彼に対する起訴状は、1964年に至って最終的に取り下げられた。彼はそのまま平穏な老後生活を楽しみ、1980年、86歳の長寿を全うして他界している。
カーテル博士と同じく、障害児安楽死計画に参加し、鑑定医を務めたベルリン大学小児科教授のハンス・ハインツェ博士も戦後西側に脱出し、1954年、かつて入院患者の多くがさかんに移送されていたヴンストルフ州立精神病院で児童精神科の医長の座におさまった。彼に対する起訴状も、1966年に至って最終的に取り下げられた。ハインツェ博士は1983年、87歳でこの世を去っている。」
「T4作戦を自らの研究活動にも利用していたボン大学精神科教授兼T4鑑定医クルト・ポーリッシュ博士は、1948年に無罪判決を受け、1952年、再びボン大学教授に返り咲いた。1955年、彼は教授の地位についたまま世を去っている。
T4鑑定医兼ケーニヒスベルク大学教授のフリードリヒ・マウツ博士は、1953年から15年間の長きにわたってミュンスター大学精神科教授の地位にあった。彼はガウプ、クレッチュマーらと並んで、いわゆるテュービンゲン学派を代表する精神病理学者として広くその名を知られている。
同じくT4鑑定医兼ブレスラウ大学精神科教授のヴェルナー・ヴィリンガー博士も、1946年から13年間にわたってマールブルク大学で精神科教授を務めた。彼はその間に精神薄弱児の、ある全国的な支援団体の発起人の一人に名を連ねている。」
「T4作戦で、臨床上興味ある患者を安楽死施設に移送して、その脳を解剖していたユリウス・ドイセン博士は、戦後再建された西ドイツ連邦軍の顧問精神科医となり、戦争心理学の教科書を執筆している。
同様に、犠牲者の内分泌臓器を専門に取り出して研究していた当時の助手カール=フリードリヒ・ヴェントは、戦後もハイデルベルクにとどまり、ついに教授称号を獲得するまでに至った。
同じく助手だったフリードリヒ・シュミーダーも1980年、教授称号を授与されている。戦後シュミーダーは頭部外傷患者専門の私立病院を開いたが、この病院はのちにその分野で西ドイツ最大の医療機関に成長した。1973年には、彼に対して『連邦功労十字章』が贈られている。」
「ホロコースト」の歴史の陰に隠れて
ほとんど知られることのなかったナチズム期の
種々の“犯罪”に対して歴史の照明が当てられ始めたのは、
戦後30年以上が経過した1980年代以降のことである。
この書が取り扱う主題は、精神医学史の中に、今も
根深い影を落としているナチズムと「精神医学」との
関わりの歴史である。このテーマに興味の
ある方は一読をオススメします。
●1987年に『灰色のバスがやってきた』(草思社)を書いたジャーナリスト、フランツ・ルツィウスも、次のように述べている。
「戦争の後、身体および精神障害者の安楽死にたずさわっていたおよそ350人の医師のうち、自らの関与を認めた者は皆無である。司法の手で責任を追及された者の数もごくわずかでしかない。
その極端な例が『ハイデ事件』である。大量殺人の罪で公開指名手配されていた、かつての『療養・養護施設帝国委員』ヴェルナー・ハイデ博士は、1945年以降、『ゾーヴァーダー博士』と名を変えて、1960年代にいたるまで、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の州保健会社の委託司法医として働いていた。相当数の教授仲間や高位の裁判官もそれを承知していた。」
ヴェルナー・ハイデ博士
T4機関の医療部門責任者であり、
上級鑑定医兼ヴュルツブルク大学の
精神科教授(最終階級は親衛隊大佐)。
戦後、アメリカ軍の手に引き渡されたが、
逃走し、偽名を使いドイツ国内で精神科医
としての活動を続けた。戦時中、彼と顔なじみ
であった教授仲間たちは誰一人として彼の
潜伏を公にすることはなかった。
■ヴィクトア・フォン・ワイツゼッカー博士の弁明
●ナチ時代、「T4作戦」に加担していたヴィクトア・フォン・ワイツゼッカー博士は、戦後(1947年)に著わした書物の中で、「全体のためには個人を犠牲にすべき」だと主張し、
安楽死も人体実験も、それが全体の利益にかなう限り認められるべきもの、と弁明していた。
参考までに、彼は悪びれる様子もなく、こう述べている。
「生命全体を救済するために、ヤケドを負った下肢だけを切断する場合があるのと同様に、民族全体を救うためには、一部の病んだ人間を抹殺することが必要な場合もある。どちらの場合も犠牲は正当であり、医療行為として必要性と意味を持つものといえるだろう。
このような考え方に賛成のできない者は、〈中略〉人間性や人権にとらわれるあまり、医師の責務を〈個人〉の治療だけに限定して〈集団〉の治療をおろそかにする可能性すらある。」
ヴィクトア・フォン・ワイツゼッカー博士
ドイツの神経内科医。独自の「哲学的」心身一元論
(医学的人間学)を提唱した学者として、戦後のドイツ
精神医学界で広くその名を知られ、その著作の一部は
日本でも紹介されている(1957年に71歳で死去)。
※「終戦40年記念演説」で有名な、第6代西独大統領の
リヒャルト・フォン・ワイツゼッカーは、彼の甥(おい)
であり、ワイツゼッカー家はドイツの名門だった。
■■第6章:ナチスとアメリカの優生学者は親密な関係にあった
●ところで、ナチスとアメリカの優生学者は親密な関係にあった。
ドイツの歴史学者シュテファン・キュールが書いた『ナチ・コネクション』(明石書店)という本がある。この本では、アメリカの優生学者とナチスの親密な関係が紹介されている。この本を読むと、人種改良のイデオロギーは、決してドイツの科学者だけのものではなかったことが分かる。
戦後にドイツを裁いたアメリカこそが、実はナチスの優生政策の先駆者だったのであり、戦前のヨーロッパにはドイツの他にも優生政策を推進した国があり、福祉国家スウェーデンでは戦後も根強く優生政策を存続させていたのだ。
『ナチ・コネクション』
シュテファン・キュール著(明石書店)
アメリカの科学者達はナチスの人種改良を支持していた…。
立入禁止のままであった、アメリカ優生学と
ドイツの人種衛生学の相互関係に
ついて研究した本。
●また、この本以外でも指摘されている事実だが、ドイツの優生学者のスポンサーとなっていたのは、アメリカのロックフェラーやハリマンなどの一族である。
彼らは1834年に死去したトーマス・マルサスの理論の信奉者であった。ダーウィンの血を受け継ぐマルサスは、非白人種や“劣等な”白人種を家畜のようにえり分けることを提唱していた。マルサスは経済学者仲間のジョン・スチュアート・ミルとともに、「金髪碧眼のアーリア人種は、この世界へと贈られた神からの賜物である」と言っている。優等な白人種が無知な有色人種を支配するべきである、と彼ら二人は言うのである。
結局、ナチスも英米のエスタブリッシュメントも言うことに違いはない。彼らは同じ穴のムジナなのだ。
WASP勢力の中心に君臨しているロックフェラー一族
※ ドイツの優生学者に資金援助をし、
ヒトラーの人種純化政策を支援していた
●この本を翻訳した麻生九美さんは、「訳者あとがき」の中で次のように書いている。
「ドイツ・ビーレフェルト大学の社会学・歴史学者シュテファン・キュール氏が本書で提示したのは、今まで明らかにされていなかったドイツとアメリカ合衆国の優生学史実の欠落部分を埋める、きわめて重要な事実である。
ドイツの人種衛生学者とアメリカの優生学者は親密な関係にあり、アメリカはナチスの人種政策のモデルとしての役割を果たした。
ドイツ軍によるポーランド電撃作戦が開始され、第二次世界大戦が勃発してからも、アメリカの優生学者はナチス・ドイツ訪問を続け、ヒトラーからの私信を得意げに同僚に見せびらかし、ドイツの大学から名誉博士号を授与されて大感激する。
だが、大戦後にナチスの人種政策の全容が明らかになると彼らは優生学から身を引こうとし、アメリカの歴史家も合衆国の優生学者とナチスとの親交を無視あるいは過小評価する姿勢を取り続けてきた。しかし現在、優生思想は復活しつつあるとキュール氏は断言している。」
●この本では、アメリカの優生学者や、アメリカの優生学組織だった「人間改良財団」や「アメリカ優生学協会」などの実態が紹介されている。「パイオニア財団」については、次のように書かれている。
「民族的少数派と障害者に対するヒトラーの政策を支持した人物たちによって創設され、アメリカにナチスの人種プロパガンダを導入するために資金を提供した『パイオニア財団』は、現在もナチスの措置に科学的根拠を与えた初期の諸研究と酷似した研究に財政援助を行っている。」
※ この本の詳しい内容と「優生学」の歴史については、当館作成のファイル
「ナチスとアメリカの『優生思想』のつながり」をご覧下さい。
子ども好きだったヒトラー。彼はアーリア人種の純血保存に力を注いだ。
●ちなみに戦後、逃亡したナチスの医者たちがヒトラーの血や細胞を保存しているのではないかといった噂が残り、アメリカのユダヤ人作家アイラ・レヴィンはそれを元に『ブラジルから来た少年』を執筆している。
(左)アメリカのユダヤ人作家アイラ・レヴィン
(右)1978年に映画化された『ブラジルから来た少年』
ナチス復興と「クローン計画」の恐怖を描いたSFサスペンスで、
日本では劇場未公開に終わったが、現在はDVDで観ることができる。
ヒトラーのクローンを再生させようとするナチスの科学者メンゲレ博士と、
それを阻止しようとするナチ・ハンターのユダヤ人リーバーマンとの対決が
見どころ。名優グレゴリー・ペックがメンゲレ博士を不気味に怪演。
■■第7章:遺伝子操作の未来像 ─「第2人類=ジーンリッチ」の出現
●人間の髪の毛さえあれば、クローン技術を用いて全く同じ遺伝子を持つ赤ちゃんが、原理的には作れる。だが、それだけではない。頭脳はノーベル賞受賞者、運動能力はオリンピックの金メダリストの遺伝子で出来たベビー。両親が希望すれば、容姿はハリウッド・スターなみの遺伝子をもった赤ちゃんだってつくり出せるかもしれない。
「デザイナー・チャイルド」──。自分の“理想”どおりの子どもを欲しいという、人間の飽くなき欲望が生み出した言葉である。資本主義経済のもと、人間は常に自由競争にさらされ、選別社会を築いてきた。最高の住居、最高の学校、最高の医師、最高の車を選ぶことが許されるなら、なぜ最高の子どもをつくることが許されないのか……。「デザイナー・チャイルド」は、ハイレベルな生活を望む人間なら、心のどこかに眠らせている願望だろう。そして、この願望は、科学技術の進歩により、現実になろうとしているのだ。
10周目のヒトの胚(体長約4cm)
●「2人の女性が精子なしで両方の血を引く子供を産む」、「遺伝子を強化されて美しい肉体と高い知性を兼ね備えた『ジーンリッチ』階級が登場する」……。
目もくらむような遺伝子の時代の到来を予測し、科学界に衝撃を走らせている遺伝学者がいる。プリンストン大学のユダヤ人科学者、リー・シルバー教授である。彼の著書『複製されるヒト』(エデンの園を作り変える)は、既に日本語を含めて14ヶ国語に翻訳されている。
この本の内容は非常に冷静なもので、バイオテクノロジーの最先端の科学と倫理問題についての情報に溢れている。とりわけもっとも興味深い部分は、既に実験動物によって確認され、近い将来の人間への応用が予想される分野の、10~20年先の見通しである。
(左)ユダヤ人科学者リー・シルバー教授
(右)彼の著書『複製されるヒト』(翔泳社)
●リー・シルバー教授は最先端医学による「遺伝的強化」の処置を施されて生まれる人々(遺伝子改良人間)のことを第2人類=「ジーンリッチ(GenRich)」と呼び、この優れた人間集団がいずれ普通の人々である「ナチュラル」(=「ジーンプア(GenPoor)」)を置き去りにし、その結果、人類が2つの種へと分岐していくことを懸念している。(ジーンは「遺伝子」の意味)。
この分岐は最初は社会的なレベルで始まり、次第に生物学的レベルに及んで、ついにはホモ・サピエンスとは異なる新たな種を生み出す──彼は、このような分岐が人類に起こることは今や避けがたくなってきたと見ているのである。
リー・シルバー教授によれば、「ジーンリッチ」とよばれる
遺伝子改良人間と、「ナチュラル」とよばれるそれまでの
人間の、2つの異なる人種による階級社会が
登場する可能性が非常に高いという
●以下は、この問題に関してリー・シルバー教授が、アメリカの科学ジャーナリストのインタビューに答えた内容である。
■Q. 遺伝子強化のための遺伝子工学は、人類の“種の分裂”という不安を呼び起こしますね。より貧しい人々は「ジーンプア」(=「ナチュラル」)となってネアンデルタールの役割を演じ、遺伝子強化を追究する金持ち階級は「ジーンリッチ」となって新たな生物種として分化しはじめ、「ジーンプア」とは交配しなくなるという──。
■A. そうです。時間とともにそれが人類を破壊するかもしれない。
■Q. “破壊”という表現は適切でしょうか? 「ジーンリッチ」が「ジーンプア」から分難することにより、ヒトの進化に人工的に新しい枝が伸びるという話ではないのでしょうか?
■A. それは人類を破壊するかもしれないのです。種の分化は破滅的な出来事かもしれない。それは、私があの本で行っている議論の中で大半の生物学者が異議を申し立てた問題です。彼らは私が議論したほかのことは何でも起こり得るが、種の分化だけは例外だと言う。その点で私は一歩後に引いて、そのようなことが起こるかどうかはわからないと言っておかねばならない。ただ私は、この技術が遺伝子強化に用いられた場合、遺伝子強化を受けた人々とそれ以外の人々の間の(遺伝的な)距離が拡大していくであろうとはっきり考えている。問題は、人類が2つの種に分岐するのか、あるいは遺伝的な相違が大きくなっていくのかということです。
遺伝子強化を受けた人々とそうでない人々が著しく異なる存在になっていくことはたしかです。その中間的な人々が生まれるかどうかは別の問題ですが。
ある意味で、人類の分化の問題は、「ジーンリッチ」と「ジーンプア」(=「ナチュラル」)の間でどの程度の交配が起こるかであり、それは生物学的というよりは社会学的な問題なのです。
■Q. 理論的には、生物学的な違いははっきりしているのではありませんか? 隔離された人間集団は枝分かれを起こす──人類を別の種に分ける可能性があると思いますが。
■A. 結果は確かに生物学的なもの(種の分化)になるが、それが実際に起こるかどうかは、人々がどのように混じり合うかによるのです。
■Q. このインタビューの直前、教授はドイツのラジオ番組を収録中でしたね。ドイツの非宗教的であるはずの、「グリーニー」(反核・環境主義の政党「緑の党」の支持者たちに対するやや軽蔑的な呼称)の聴衆が、遺伝子工学に対するもっとも過激な反対者になっているようです。私自身の印象でも、ドイツでは遺伝子工学分野の研究すべてが深刻なほど遅れていると思います。
■A. まさにそうです。ドイツはいまもヒトラーに反応しつづけ、極度に反対側に行ってしまっている。「グリーニー」は、人間に対する以前に、植物や動物に対する遺伝子操作をも阻止しようとして、自国のバイオテック産業を遅らせている。馬鹿げたことです。
■■第8章:遺伝子工学に忍び寄る“ナチスの亡霊”
●1979年、アメリカで最初の「精子銀行」が設立された。当初この銀行への精子提供者はノーベル賞受賞者、また提供を受けられる女性はIQ140以上に制限された(後に男女とも資格がゆるめられた)。
1992年の統計では、全米の「精子銀行」の数は100を超え、また「体外授精クリニック」も250ヶ所に迫る勢いである。
「精子銀行」に冷凍保存されている精子
●「精子銀行」の多くは「遺伝的に優れた精子」を売り物とし、顧客の様々な要求に応えることができる。瞳の色は? 髪は金髪にしますか? 身長はどの程度がお好みでしょう? スポーツマンタイプと政治家タイプとございますが、どちらに……?
「精子銀行」のなかには、ノーベル賞受賞者のような特別IQの高い人間の精子のみを扱い、神がかり的な天才児を次々と供給し続けているところも存在する。有名なのがアメリカの遺伝子工学者であるロバート・クラーク・グラハム博士が設立した精子銀行「ジャーミナル・チョイス」である。
グラハム博士の目的は、選び抜いた精子を使って、「優秀な人類」を創造することである。
「天才の遺伝子を人工的に次世代に継承することに、何の問題があるのか?」というのがグラハム博士の主張である。優れた知性を持った人間が増えれば、人類全体はもっと進歩するにちがいないと博士は考えているのだ。
アメリカの遺伝子工学者
ロバート・クラーク・グラハム博士
博士は200人以上の天才児を“つくりあげた”が、
彼が生み出した天才児たちは、薄気味悪いことに
アーリア系の特徴をもつ白人ばかりであった…
●グラハム博士によれば、彼が“つくりあげた”200人の子どもたちは、現在、アメリカ、ドイツ、カナダ、イギリス、レバノン、フィンランド、イタリアなどで順調に育っており、すでに素晴らしい才能を開花しつつあるという。博士が追跡調査したところ、200人の子どもたち全てが120以上のIQを持ち、彼らは知能が高いばかりでなく、明るく、幸福で、健康であるという。そのうち数人の子どもは早い段階からメディアに登場し、その驚くべき能力で全米を驚かせた。
グラハム博士が“つくりあげた”
天才児ドロン・ブレイク
彼はIQが180もあり、5歳でシェイクスピア
を読み、9歳で小説を出版したという
●前出のリー・シルバー教授は、「精子銀行」について次のように紹介している。
「1990年代半ばまでに、顧客の要望に応える『精子銀行』が、アメリカ中に続々と設立された。なかには、マンハッタンの『妊娠研究財団』のように、科学者やオリンピック選手の精子を専門に扱うところもあれば、パロ・アルトやボストンに支店を持つ『クリオバンク』のように、スタンフォード、MIT、ハーバードといった一流大学の学生の精子を専門に扱うところもある。授精希望者には、それぞれのドナーの特徴、たとえば、身体的特徴、病歴、音楽、芸術、スポーツなどの特技、学歴、SATのスコアなどが詳細に記載されたカタログが送付される。さらに追加料金を払えば、『ドナー・カウンセラー』が、その夫婦の希望によりマッチしたドナーを選んでくれる。」
◆
●現在も、「精子銀行」は着実に増加している。科学技術の進歩により、これからは「人工授精」というまだるっこしい方法ではなく、最新のクローン技術を応用した精子銀行ならぬ「DNA銀行」が出現することになるだろう。いや、クローン技術を応用する場合には、銀行ではなく「DNA牧場」あるいは「DNA工場」と呼ばれるかもしれない。
最新設備を誇る“工場”からは、優秀なDNAのみが次々と量産され、遺伝的に優れた子供を望む母親のもとへ供給される。そうなれば、生命倫理などは一蹴され、悪魔のような欲望のみが、人々の心を支配するだろう。
「精子銀行」が生み出した
“天才”少女
少女の母親は、彼女の才能を評し
「将来、必ず有名な女優になる」と断言する
●もしもナチス政権下の科学者たちが墓場から甦ったら、現在のアメリカ社会に蔓延するこのような風潮を見て狂喜するにちがいない。いや、彼らを無理に墓場から甦らせる必要もない。1990年代に入ってからの白人至上主義者やネオナチ信奉者の勢力は目を見張るスピードで増加しつつある。
まるで、アメリカにおける遺伝子工学の発達と歩調を合わせるかのようにして、ナチスの亡霊たちは確実に人々の心の中に忍び込んでいる。
近い将来、国際スポーツ大会では「遺伝子ドーピング」が流行し、もはや普通の肉体では“勝利”できないような世界が訪れるだろう。来世紀になれば、前章でリー・シルバー教授が語ったように、「ジーンリッチ」とよばれる遺伝子改良人間と、「ナチュラル」とよばれるそれまでの人間の、2つの異なる人種による階級社会が登場している可能性が高い。
遺伝子強化のための「遺伝子工学」は
人類の“種の分裂”という不安を呼び起こす
●ところで、「ジーンリッチ」の内面(精神面)はどうなのだろう? 彼らは精神的にも優れているといえるのだろうか?
リー・シルバー教授は、「ジーンリッチ」は決して「無機質な人間」の集まりではないとして、次のように説明している。
「ジーンリッチ階級は、けっしてコピー人間の集まりではない。様々なタイプのジーンリッチがあり、その中でサブタイプが細かく枝分かれしている。〈中略〉ジーンリッチ・スポーツ選手は全て、昔なら『超人的』と言われるほどの技術を身に付けている。ナチュラルが同じことをやるのは不可能である。
ほかに、科学者のジーンリッチ・タイプもある。この科学者たちが持つ人工的遺伝子の多くは、ジーンリッチ階級なら誰もが持っている遺伝子と同じで、肉体的、精神的資質を強化するものや、既知の病気すべてに対する抵抗力を持つものなどである。〈中略〉ほかにも、ビジネスマン、音楽家、画家、万能知識人まで、数多くのジーンリッチ・タイプがある。」
●リー・シルバー教授は、上のように説明しているが、遺伝子工学で、精神的資質(人間の内面)を自由に強化できるかどうかは、はなはだ疑問である。やはり、後天的資質(後天的努力)は重要だと思う。しかし、「ジーンリッチ」は経済的にも「リッチ」な集団なので、それなりに良い環境で子どもを育てていくのかもしれない。「ジーンリッチ」は肉体だけでなく、社会的にも“優れた”集団=「上流階級」を形成していくのだろう……。
しかし、やはり疑問は残る。人生を最初から最後まで計算通りに生きられると考えるのは甘いといわざるをえない。人間はある種の苦難を通じて精神的に成長していくことが多い。純粋培養された、お坊ちゃん(お嬢ちゃん)育ちの人間が、過保護な環境の中でダメ人間として育ってしまう可能性は捨てきれない(笑)
「ジーンリッチ」は肉体だけでなく、
経済的にも豊かなエリート集団なので、彼らの
子どもたちは、優れた環境の中で育てられるだろう。
ジーンリッチ専用の教育施設が作られ、弱肉強食の
「超学歴・管理社会」になるかもしれない…。
※ もちろんこんな社会は来て欲しくない
※ 追記:
●日本のノーベル賞科学者である江崎玲於奈氏は、2000年の「教育改革国民会議」で、次のような発言をした(江崎氏は「優生学」の観点に前向きな姿勢を示し、物議を醸した)。
「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をする形になって行くだろう」
■■第9章:人類の分岐 ─「人類の二極化」現象
●かつてアドルフ・ヒトラーは次のような発言(予言)をしたという。
「“2つの極”はますます進む。人類と社会のあらゆることが、未来には、両極端に分かれてしまう。
たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う『無知の大衆』『新しい奴隷』も増えていくのだ。〈中略〉それは1989年だ。そのころ実験は完成する。人間は完全に2つに分かれる。そこから引き返せなくなる」
「……人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。
そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ」
アドルフ・ヒトラー
●上のヒトラーの言葉と、下のリー・シルバー教授が語った言葉を読み比べて欲しい。
ヒトラーが「予言」した「人類の二極化」現象は、リー・シルバー教授の未来予測と符号しているところがあって不気味である。
「1980年代から始まった社会の二極化は行くところまで行き着き、全ての人間が2つの階級のどちらかに属するようになるだろう。1つは『ナチュラル』と呼ばれる階級、そしてもう1つは遺伝子改良人類、『ジーンリッチ』と呼ばれる階級である。〈中略〉
貧しい人々は『ナチュラル』となってネアンデルタールの役割を演じ、遺伝子強化を追究する金持ち階級は『ジーンリッチ』となって新たな生物種として分化しはじめ、『ナチュラル』とは交配しなくなる。こうして、人類は完全に2つに分かれてしまうだろう。〈中略〉
地球の人口が増加を続けるにつれて、『ジーンリッチ』の集団は、太陽系のほかの遊星、衛星、小惑星に移住し、彼らはその地で遺伝子改良技術を使い、それぞれが選んだ世界で子どもたちが生き残るための能力をさらに高めていくかもしれない……」
プリンストン大学の
リー・シルバー教授
今も精力的に、遺伝学、進化生物学、
脳神経科学、それに個体群に関する
研究論文を提出し続けている
●アメリカで活躍する科学ジャーナリスト、ピーター・カタラーノは、リー・シルバー教授に直接会って話を聞いたときの感想を次のように述べている。
「シルバー教授は、スティーヴン・グルードやカール・セーガンのような科学分野の国際的名士への道を着々と進んでいるように見える。
シルバー教授は恐ろしげな人物ではない。顔立ちは整っており、背は低いほうである。彼は──グルードやセーガンと同じく──よい語り手であり、人々を魅了するエキサイティングなやり方で科学について語る。彼はしばしば不遜なユーモアのセンスをはさみ込みながら物語や逸話を織り上げていく。実際シルバー教授は、世間の人々を、とりわけ遺伝子科学やバイオテクノロジーの発展についてうわべだけしか理解していない人々を挑発し、それを楽しんでいるように見える。
しかし彼の著書の内容はといえば、それ自身は冷静で、バイオテクノロジーの最先端の科学と倫理問題についての情報にあふれている。〈中略〉
『ジーンリッチ』の登場による“人類の分岐”の帰結がどのようなものか、シルバー教授はさして気にかけていないように見える。だが彼がさらに次の段階を予測するとき──つまり人間の遺伝子に植物の遺伝子をつなぎ合わせて、太陽エネルギーで繁殖する人間と植物の『かけ合わせ生命体』を育てる話を始めるとき──
はじめて読者は、人間はいったいどこへ行くのか? という疑問を抱きはじめずにはいられないはずだ。
このときのシルバー教授の話に、私は戦慄(せんりつ)を覚えたと告白しなくてはならない」
今後、遺伝子工学は急加速度的に発達していくだろう。
生命科学の進展とともに、人類は「新たな価値観」を
選択(模索)し続けていくだろうが、様々な
混乱(とまどい)が起きると思われる。
●ちなみに、未来学者として有名なユダヤ人、アルビン・トフラーは、1980年に出した著書『第三の波』で、「高度情報化社会」が到来することを“予言”したが、「新しい人間」の出現について、彼は次のように書いている。
参考までに紹介しておきたい。
「20世紀の半ばになると、ヒトラーのドイツに『新しい人間』が出現したと考えられるようになった。
ヘルマン・ラウシュニングによれば、ナチズムとは、『宗教以上のものであり、超人をつくり出そうとする意志のあらわれ』であると言う。ナチのつくり出した身体強健な非ユダヤ系アーリア人種は、農民、兵士、神、それぞれの側面を持っていた。ある時、ヒトラーはラウシュニングにこう打ち明けたという──『新しい人間を、この眼で見た。勇猛果敢、残酷な男だ。そいつの前に立っていると、恐ろしくなってくる』と。」
「つい10年前か20年前、フランツ・ファノンが『新しい精神』に支えられた、『新しい人間』の出現を大々的に論じたことがあった。チェ・ゲバラによれば、彼の理想とする未来の人間とは、豊かな精神生活を営む人間だということであった。こう見てくると、『新しい人間』のイメージは、実に様々である。〈中略〉
……これまで述べてきたように、(第一の波、第二の波に続く)『第三の波』は、観念の所産である超人(スーパーマン)や、人々の間を大手を振って歩く、英雄気取りの人間を出現させるわけではない。社会に広く認められる特性に、根本的な変革を加えようとしているのだ。『新しい人間』ではなく、新しい社会的性格が生まれようとしているのである。したがって、我々のやるべきことは、『新しい人間』の神話を探し求めることではなく、明日の文明によって高い評価を受けるであろう、特性を探し求めることなのである。」
(左)ユダヤ人未来学者のアルビン・トフラー。
ロックフェラー財団、未来研究所、アメリカ電信電話会社
などの顧問を務めている。(右)彼が1980年に
出した『第三の波』(日本放送出版協会)。
世界中の人々に大きな影響を与えた。
●さて、最後になるが、一時期、アウシュヴィッツにおいてメンゲレ博士の助手を務め、恐怖の人体実験を目撃した数少ない生き残りであるニスツリ医師は、次のような会話をメンゲレ博士と交わした覚えがあると裁判で証言した。
「博士、このような恐ろしい実験を、私たちはいったいいつまで続けねばならないのでしょうか……?」
メンゲレ博士は、ニヤリと笑ってこう答えたという。
「まだまだ続くのだよ、きみ。私たちの『理想の社会』を実現するまで、この実験はずっとずっと続く……」
(左)ダーウィンのいとこであったイギリスの科学者
フランシス・ゴルトン。「優生学」という言葉を作り出した。
(右)イギリスの社会学者ハーバート・スペンサー。彼は貧困層の
大部分は生来価値のない人々であり、彼らやその子どもたちの生存に
役立つようなことは何ら行うべきではないと信じていた。このような
見方は後に「社会ダーウィニズム」として知られるようになった。
※「優生学」の歴史に興味のある方は上述の当館作成のファイル
「ナチスとアメリカの『優生思想』のつながり」をご覧下さい。
─ 完 ─
■■おまけ情報:映画『ガタカ』について
●1997年にアメリカで作られた映画に『ガタカ』というのがある。
遺伝子が全てを決定する近未来を舞台にしたSFドラマで、ジーンリッチとナチュラルの世界がリアルに描かれた作品である。映画は始めから終わりまでとてもきれいな映像で話が進み、SFドラマの「傑作」との声もあるので、まだ観てない方は、ぜひご覧になってみることをお勧めします。
この映画の題名であるガタカ=「GATTACA」は、
DNA情報の4文字「A・T・G・C」を組み合わせた造語である
── この映画のあらすじ ──
遺伝子工学の発達によって優秀な遺伝子を組み合わせて生まれた「適性者」が支配し、人間の生活も固定化されてしまった未来世界。そんな折り、自然出産で生まれた「不適性者」のヴィンセント(イーサン・ホーク)は、宇宙飛行士になる夢をかなえるため、遺伝子適性をごまかして、「適性者」エリートのみが所属する宇宙局「ガタカ・コーポレーション」へ入社。
しかし、ある日社内で殺人事件が起きて、ヴィンセントが犯人と疑われてしまい……。
■■おまけ情報 2:「インディゴ・チルドレン」について
●1980年代から、新しいタイプの子供たちがたくさん地球に生まれてきていると言われている。彼らは高い意識や霊性を備え、今までにない風変わりな精神的特質を持っているという。
欧米では一般に、彼らは「インディゴ・チルドレン」(インディゴの子どもたち)と呼ばれているそうだ。なぜなら「霊視」できる人によると、魂の色がインディゴ色(藍色)だからだという。
『インディゴ・チルドレン ─ 新しい子どもたちの登場』
リー・キャロル&ジャン・トーバー著
(ナチュラルスピリット社)
●彼ら「インディゴ・チルドレン」が、ヒトラーのいう「新しい人間」なのかどうかは分からないが、興味深い現象だと思う。興味のある方は、『インディゴ・チルドレン ─ 新しい子どもたちの登場』リー・キャロル&ジャン・トーバー著(ナチュラルスピリット社)を読まれるといいだろう。
※ 現在では「インディゴ」はもう古く、「クリスタル」や「レインボー」などのさらに新しいタイプの子供たちが次々と生まれてきているという情報もある。
── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ──
《《インディゴ・チルドレンの特徴》》
【1】人に命令されるのが理解できない。【2】「これをしてはダメなんだよ!」と言っても理解が出来ず効果がない。「なぜいけないの?」と思ってしまう。
【3】いじめられている子を助けようとして、逆にいじめられる。
【4】なぜ学校に行かなきゃ行けないのか、なぜ今これを勉強しなきゃいけないのか、そのシステムに不満がある。
【5】この世になぜ自分が誕生したのかという「私は生まれてきたんだ」という強い意識や思いがある。
【6】「自分は誰なのか」「自分はなんなのか」と問うことがある。そして自分という存在のあり方に悩む。
【7】自分に似たような子がいないと不安になり、孤独になり自暴自棄になる。
【8】感性が豊かでずばぬけた才能がある子もいる。
【9】最近ではテレパシーやサイキック能力に長けている子も多い。
【10】グラウンディングが苦手。意識が高次元に近いがために、日常のなかでボーっとしていることがある。そのため忍耐力が他の子に比べると低い。
【11】生意気な子にみられる。年齢、性別、地域などの枠にはまらず、物怖じせず話したりする。
【12】ある時期に、急激に「ハートのチャクラ」が活性化する。そして「愛」について学び語り、自分が何をしに生まれてきたのかを思い出す。
【13】前世の記憶を時に思い出し、普通に話し、語る。
【14】「自分は自分」という意識が高い。
【15】目がきれい。
■■おまけ情報 3:『人体改造の世紀 ─ ヒトゲノムが切り開く遺伝子技術の功罪』
●雑誌『Quark』や『Views』の専属記者だった森健(もりけん)氏が出した『人体改造の世紀 ─ ヒトゲノムが切り開く遺伝子技術の功罪』(講談社)は、バイオテクノロジー研究の最先端を知る上で、とても参考になる本である↓
ゲノム研究の最先端を斬る、衝撃のリポート。
金髪、ブルーの瞳、背が高く頭もいい…。望み通りの
子供がオーダーメイドで手に入る!? ゲノム解読が終了し、
ますます高度化する遺伝子や細胞の操作技術は、ついに人体の
改変を可能にしつつある。遺伝子導入、異種移植、臓器創出、再生工学、
万能細胞、クローン人間……。続々と現実化する技術はいったい
どこまで進展するのか。それらをどこまで使うか、私たち
一人一人の決断が、人類の未来を左右する。
※ この本の内容の一部はオンラインで読むことができます↓
◆人体改造の世紀 ─ ヒトゲノムが切り開く遺伝子技術の功罪
http://moura.jp/clickjapan/genome/cap4_3/4_3a.html
■■おまけ情報 4:映画『マイ・ファーザー ~死の天使~』について
●2003年に作られた映画『マイ・ファーザー ~死の天使~』は、ナチ戦犯者ヨーゼフ・メンゲレを父に持つ青年が、重い宿命を背負い、父と対峙し、激しく葛藤する姿を、実話を基にドラマチックに描いた作品である。
※ この映画にはチャールトン・ヘストン(父メンゲレ役)、F・マーレイ・エイブラハムという2大アカデミー俳優が共演している。映画『戦場のピアニスト』のドイツ軍将校役で注目を浴びたトーマス・クレッチマンも出演している(メンゲレの息子役)。
(左)ヨーゼフ・メンゲレ博士 (右)戦後、
ナチスの医師というかつての身分を隠して南米
に潜伏していたメンゲレ博士の姿(右から3人目)
※ メンゲレ博士はアウシュヴィッツの専属医師で、
人々から「死の天使」と呼ばれて恐れられていた。
原題:MY FATHER - Rua Alguem 5555
制作国:イタリア/ブラジル/ハンガリー
監督:エジディオ・エローニコ
※ この映画の原作となった『Vati(父)』は、
ヨーゼフ・メンゲレ博士の息子から提供された
未公開文書や手紙、写真、そして証言に
基づいて書かれたものだという。
●戦後、連合国側に「第一級戦犯」として指名手配を受けていたメンゲレ博士は、なぜ最後まで捕まらなかったのか?
この映画の中では「アメリカの関与」を示唆するセリフが登場していて興味深い。
少し長くなるが、この作品の内容を簡単に紹介したいと思う。
※ 以下、ネタバレ注意。
── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ──
●物語は1985年6月6日、南米ブラジルのマナウス郊外の小さな墓地で、ヨーゼフ・メンゲレのものとされる白骨死体を掘り返す場面から始まる。メンゲレは、ヒトラー政権の下、「アウシュヴィッツ収容所」で残酷な人体実験を繰り返した遺伝学者で、戦犯となった戦後は南米を中心に長い逃亡生活を送っていた。
この日、発見されたメンゲレのものとされる遺体は驚くことに死後6年もたっていた。
果たして、この遺体は本当に彼のものなのか?
大勢のテレビクルーが押しかけ騒然とする中に、メンゲレの息子へルマンがいた。
彼の姿を見つけた被害者のユダヤ人女性は、怒りをあらわにして彼に近づき大きな声で叫ぶ。
「人殺し! 人殺し! 一緒になって隠し通したんだろ。父親が人殺しなら息子も同罪だ! 人殺し! お前もあの男と同じだ!」
●「ニューヨーク・ユダヤ人協会」に雇われていた弁護士ポール・ミンスキーは、メンゲレの死が「偽装」されたのではないかと疑いを抱き、ホテルの一室で、へルマンに真実を話すよう詰め寄る。(この弁護士の目的は2つあった。1つは被害にあった双子の治療のためにメンゲレのカルテを入手すること。もう1つはドイツへ損害賠償を請求するために、メンゲレが本当に死んだのかを確認することだった)。
長い沈黙の後、へルマンは南米で潜伏生活を送る父と8年前に対面したときの思い出を語り始める。
ブラジルの国旗
●ヘルマンが8年前(1977年)、南米ブラジルで初めて対面した父メンゲレは、写真とはまるで違う印象の男だった。
メンゲレは元ナチスの仲間に守られながら、敵(追跡者)の目を欺くために薄汚れた貧民街(アルゲム通り5555番)に隠れ住んでいた。
想像していたイメージと現実とのギャップにヘルマンはショックを受けるが、父は今でもナチズムを信奉していて、息子相手に自分の世界観を自信たっぷりに語るのだった。
「何が正義かなど分からん。善悪さえも存在しないさ。ただ生きるための欲求が人を突き動かすだけだ。そのことを今の世代は忘れている。もはや“真のドイツ人”は存在しない」
「私は科学者、遺伝学者だ。若き日の情熱を研究に捧げたんだ。人間の遺伝の研究にな。芸術家や音楽家の才能もあったが、一番の興味は自然科学だった。私の研究は学生時代から注目された。卒業後に紹介されたのがベルリンの政府直轄の研究所『カイザー・ヴィルヘルム研究所』の助手の職だった。当時としてはごく当たり前の選択だった。国に尽くすのが国民の義務なのだ。今の世代には分からんだろうが、私たちは新しい世界を夢見て戦ったんだ」
●さらにメンゲレは息子を森の中に誘い、次のように力説した。
「周囲を見てみろ。隣と正確な距離を保って生えている木などない。どの植物も自らの土を確保し、日光を奪い合う。この森さえも戦場なのだ。ここでは数百万年前から今日まで静かな戦いが展開されている。だが今に生きるお前に、戦場は分かるまい」
「収容所の究極の目的は原始的、非科学的手法によってではあったが、科学に寄与したことは否定できまい。人間は神による創造物ではなくサルの子孫なのだ。人間は常に不自由と不平等を強いられている。そして動植物と同じく人間も『進化の法則』の支配下に生きている。すなわち強者は生き残り弱者は滅びる。だまされてはいかん。“隣人を愛せ”だの“人の命は神聖”だの、厳しい選別を阻む戯れ言にすぎん。我々の任務はより強い種が生き残るよう必要な選択をすることだった。それは避けられないことだ」
「現在は飢餓と戦うため世界中が手を尽くし、劣等種の存続を支えている。だが劣等種を絶滅から救うことは、白人種の自己否定を意味するのだ。人々は誤った観念を鵜呑みにしている。現在の科学は岐路に立たされている。今こそ『遺伝学の法則』に合致した価値システムを作らねば、自滅の道を歩むまでだ」
◆
●ヘルマンは父と数日を過ごす中で、父を知り、父を糾弾し、自首させるつもりでいた。しかしヘルマンは「公的な正義感」と「親子の絆」のどちらを選ぶかで葛藤し続けた。
結局彼は最後まで「親子の絆」を断ち切る勇気を持つことができず、空虚さと疎外感を感じながらドイツに帰国したのだった。
●そしてその2年後(1979年)、ヘルマンは手紙によって父の死を知り、再びブラジルに入国。雨の中、現地の人に父の墓を案内してもらう。
彼はこの時の気持ちをこう回想している。
「墓の前で長いこと父のことを考えたが、何も浮かばない…。ゲルマン民族による世界支配をあれほど強く望んでいた父…。その父の隣には、日本人が埋葬されていた……」
◆
●ヘルマンの回想を聞き終えたユダヤ人の弁護士ポール・ミンスキーは、厳しい表情をしながらこう述べる。
「結局、裁きを免れたことが問題なのだ。なぜこのことを今まで黙っていた?」
「君の話は確かに感動的な話だったが、欠陥がある。君は全てを正直に話してくれたと思うが、信じるにはあまりにも話がうまく出来すぎだ」
「つい最近だが、君の父メンゲレについての確かな情報が揃い逮捕が目前となっていた。現在の潜伏先は南米パラグアイだ。アメリカとドイツとイスラエルの3ヶ国がメンゲレの逮捕に同意したとたん、いきなり遺骨発見のニュースが舞い込んだ。よくできた話だが、冗談のようなタイミングだ」
「70歳近くで体調の良くなかったメンゲレが、なぜ海に泳ぎに行ったのか? 彼の死体を発見した女性はどうやって女一人で海の中から引き上げたのか? そして即座に花と棺(ひつぎ)を手配できたのか? なぜ医者は死亡証明書の欄に“50代の男性”と書いたのか?」
「君には理解できないだろうが、ホロコーストの生存者にとってメンゲレは恐怖そのものだ。その人たちの人生を取り戻すには、メンゲレは裁かれねばならないのだ。死んだとわかれば安心はするだろうが、それでは結局何の裁きを受けなかったことになる。彼の罪は永遠に闇に葬られてしまう」
◆
●ヘルマンの泊まるブラジルのホテルの外には、世界中から集まってきたアウシュヴィッツ生き残りの人々が抗議の声を上げていた。彼らの多くもメンゲレの死に疑問を抱いていたのである。
このデモに参加していた男性はこう発言している。
「茶番だ。何から何まででっちあげだ。間違いなくあの殺人鬼は今も生きている。ヴィーネルト(メンゲレの仲間で元SS)の協力で溺死を装った。替え玉を使いアメリカが真相を隠蔽した!」
(インタビュアーの「なぜアメリカが?」という質問に対して)
「あの怪物が行った実験に一番興味を持っているのはアメリカなんだぞ!」
●そのあとカメラの前に一人の女医が登場し、メンゲレの顔写真が載った新聞を片手にこう証言する。
「私は歯科医のマリア・ガレアノです。やはり間違いありません(彼は生きています)。論争の主がこの人物なら、歯の治療をしに診療所へ来ました。死亡したとされる日の2ヶ月もあとにね」
●この映画は、ホテルから出てきたヘルマンが、群衆たちから「人殺しの息子!」「お前も同罪だ!」という罵声を浴びながら立ち去っていく姿を映しながら静かに「エンディング」を迎える。
●さて、最後になるがこの映画の感想を少し書いておきたい。
この映画を作ったエジディオ・エローニコ監督は、作品中メンゲレの行為を肯定も否定もしておらず、ニュートラルな視点から実話を基にドキュメンタリータッチで話を進めている。
メンゲレの息子が、父親に怒りをぶつけるシーンや、地元警察に父親を通報するか否か苦悩するシーンは、音楽が効果的に使われていて胸に迫るものがある。持病のアルツハイマーを押して参加した名優チャールトン・ヘストンはメンゲレを熱演し、観る者に力強い印象を与える(これだけでも感動できる)。
しかし、“死の天使”と恐れられたメンゲレが、結局何の裁きも受けずにこの世から“消えて”しまったことは歴史的事実であり、その死の「謎」とともに、何かスッキリしないものを心に残す作品でもある(この映画を作った監督自身、メンゲレの死に疑問を抱いているように感じた)。
もし自分が息子ヘルマンの立場だったらどういう行動を選択したか…。
いろいろと考えさせられる作品だったので、この映画は何度も見てしまった。
メンゲレと優生学に興味のある方にはオススメの作品だと思います。
■■おまけ情報 5:「遺伝子ドーピング」について
●第8章で少し触れた「遺伝子ドーピング」に関する情報です↓
参考までにどうぞ…
◆「遺伝子ドーピング」について(日経サイエンス 2004年9月号)
http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/magazine/0409/doping.html
◆「ドーピング」問題 ─「遺伝子ドーピング」の時代
http://www5e.biglobe.ne.jp/~abends/trivia_zatsugaku_/zatsugaku%20idenshi%20do-pingu.htm
◆オリンピック選手になるのも遺伝子次第?(2003年8月14日)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20030827304.html
◆筋力回復の遺伝子治療、ドーピングに悪用される懸念(2004年2月16日 AP通信)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20040218302.html
◆脅威「遺伝子ドーピング」 北京五輪では焦点に(2004年7月28日付 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/special/doping/2004072801.htm
■■おまけ情報 6:『ポスト・ヒューマン誕生』の紹介
●ニューヨーク生まれのユダヤ人レイ・カーツワイル博士は、次のような大胆な「未来予測」を口にしている。
「進化は加速している──。生物の限界を超え、2045年、人類はついに特異点(シンギュラリティ)に到達する」
「21世紀の到来は、われわれ人類を有史以来もっとも過激でスリリングな時代への淵へと立たせることになる。つまり、『人間であること』の意味そのものが、拡張され、また脅威にさらされる時代になるのだ。われわれ人類は、遺伝というその生物としての枷(かせ)を取り払い、知性、物質的進歩、そしてわれわれの寿命において、信じられないほどの高みにまで到達するだろう。──特異点は近い!」
(左)NY生まれのユダヤ人レイ・カーツワイル博士
(右)彼の著書『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版)
●このレイ・カーツワイル博士はいったい何者なのか?
最近出版された彼の著書『ポスト・ヒューマン誕生』(NHK出版)には、彼のプロフィールが詳しく書いてある。簡単に抜粋しておきたい↓
「1947年ニューヨーク生まれ(両親はホロコーストから逃れてきたユダヤ人)。
世界屈指の発明家、思想家、未来学者であり、この20年間の様々な出来事を予言してきた。『眠らない天才』、『究極の思考マシン』と呼ばれ、また Inc.magazineはカーツワイルを世界トップの起業家のひとりに選び、『トマス・エジソンの正統な相続人』と呼んだ。また、PBS(公共放送サービス)は彼を『過去2世紀においてアメリカに革命を起こした16人の発明家』の1人としている。
アメリカの『発明家の殿堂』に名を連ね、『ナショナル・メダル・オブ・テクノロジー』『レメルソン ─ MIT賞』など優れた発明に贈られる世界最高峰の賞を数々受賞、12の名誉博士号を持ち、3人のアメリカ大統領から賞を贈られている。
著書に『スピリチュアル・マシーン ─ コンピュータに魂が宿るとき』(翔泳社)などがある。」
●本書の帯には、かの有名なビル・ゲイツの言葉が紹介されている。
参考までに抜粋しておきたい↓
「レイ・カーツワイルは私の知る限り、人工知能の未来を予言しうる最高の人物だ。
ITが急速に進化を遂げ、人類がついに生物としての限界を超える未来を、本書は魅力的に描いている。そのとき、われわれの人生は想像もつかない大変革を経験するだろう!」
「マイクロソフト社」の創業者ビル・ゲイツ
●この本は、全部で600ページ近くもあり、特殊な専門用語も多いので読破するのに苦労したが、実にエキサイティングな内容であった。
今後も、レイ・カーツワイル博士の活動に注目していきたいと思う。
◆NHK番組「未来への提言」~世界のキーパーソンが語る21世紀~
http://www.nhk-jn.co.jp/002bangumi/mirai/index.htm
■■おまけ情報 7:新人種「ブルー児童」について
●ロシアの新聞『ウネン』の報道によると、「ロシア社会科学院」の研究者たちは、近いうちに地球上に特殊な力を持つ新人種が現れると指摘しているという。
この新人種の共通の特徴は知能がとても高く、感性が非常に鋭いことで、人体エネルギーを撮影した写真から見れば、精神力を示す青色が彼らの体に非常に強く現れることから、このような人々は「ブルー児童」と称されているという。
●この「ブルー児童」たちは、すでに内臓の機能がある程度変化しており、彼らの免疫系は普通の人より数倍も強く、疾病に対する完備した免疫力を持っているという。さらに彼らのDNAも現代人類と異なっているとのこと。
●「ブルー児童」については下のリンク先の記事で詳しく紹介されている↓
※ どこまで真実なのか分からないが、個人的にこういう
類の話は興味をそそる。参考までにどうぞ(笑)
◆大紀元時報−ロシア科学者:地球に超能力の新人種が出現
http://www.epochtimes.jp/jp/2007/04/html/d51862.html
生命科学の進展が社会に「遺伝子差別」
という新しい差別を作り出しつつある…
■■ 関連書籍 ■■
左から『人間性なき医学 ─ ナチスと人体実験』アレキサンダー・ミッチャーリッヒ著(BNP社)、
『恐ろしい医師たち ─ ナチ時代の医師の犯罪』ティル・バスチアン著(かもがわ出版)、
『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』ヒュー・ギャラファー著(現代書館)、
『アウシュヴィッツの医師たち』F・K・カウル著(三省堂)
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