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No.a6fhc101
作成 1998.1
第二次世界大戦中にトップ・スパイとして活躍した
ベラスコ(1909年スペイン・グアダラハラ生まれ)
親日家であり、またヒトラーから厚い信頼を得ていた
ユダヤ系のスペイン人で、第二次世界大戦の真相を
知り尽くしていたと言われており、ヒトラーの
最期について驚くべき証言を残している。
●1982年9月20日に、NHK特集「私は日本のスパイだった ~秘密諜報員ベラスコ~」が放送されたので、ベラスコの名前を知っている日本人は多いだろう。
この番組は「第37回芸術祭大賞」「第15回テレビ大賞 優秀番組賞」「第22回日本テレビ技術賞」を受賞し、現在は「NHK特集名作100選」に選ばれている。
NHK特集「私は日本のスパイだった ~秘密諜報員ベラスコ~」より
太平洋戦争中、アメリカ本土に潜入して多くの機密情報を日本に送り続けた
国際スパイ組織があった。彼らは原爆についても日本に再三警告を発し続けた。
戦後にアメリカが公開した「マジック」と呼ばれる日本の暗号文を解読した文書の
記述などを糸口にして、スパイ組織のリーダーであったアルカサール・デ・ベラスコ
という人物を探し当て、当時の日本の諜報活動を明らかにしたドキュメンタリー番組。
※ 日米開戦の1年前から終戦までの5年間、日本が使っていた軍事外交暗号はほとんど
全てアメリカに解読されていた。その解読文書は「マジック」と呼ばれ、毎日2回情報部
の将校によってホワイトハウスのルーズベルト大統領など限られた要人に届けられていた。
NHK取材班はマジック文書のマイクロフィルム14巻を入手したが、そこにはアメリカに
よって読み取られた日本の最高機密が2万ページに渡って記録されていた。(連合国側は
マジック文書によって日本の手の内を読み取り、戦争を勝利に導いていたのである)。
その文書の一部によると、TOと呼ばれる諜報機関が少なくとも20人のスパイを
アメリカに潜入させ、多くの機密情報を日本に送り続けていたという。TOとは
一体どんな組織なのか? アメリカはTOの暗号を完全解読していたが、公開
されたマジック文書では何故かTOのトップ名だけ伏せられていた。
そこでNHKは独自に取材を進めてTOの全貌に迫っていく。
↑「NHK特集名作100選」に選ばれ、ビデオ化されて販売されたベラスコの特集
●第二次世界大戦中にトップ・スパイとして活躍したべラスコは、ユダヤ系スペイン人(スファラディム)で、スペインの「ファランヘ党」の設立者の1人であった。
本名はアンヘル・アルカサール・デ・ベラスコである。
ベラスコは1909年にスペイン・マドリード郊外のグアダラハラの農家に
生まれ、20歳でマドリードきっての闘牛士となる。28歳の時にフランシスコ・
フランコに反逆して死刑を宣告されたが、釈放を条件にスペインの諜報部員となる。
1940年にロンドンに渡りスペイン大使館の報道官を装いながら諜報活動に従事。
その頃のスパイ名は「ギレルモ」。1941年12月に日米開戦が起きると、彼の
もとに至急スペインに戻るようにとの電報が届く。スペインに帰国後、日本の
政府高官との接触が始まり、日本の諜報活動に従事するようになる。
●1941年12月に太平洋戦争が幕を開けると、ベラスコは日本の外務省からの極秘要請で「TO諜報機関」という対英米スパイ機関をスペイン国内に創設。
この組織は日本国内では「東(とう)機関」と呼ばれていたが(「東」の命名の由来は「情報を盗みとる」の「盗」からきているといわれる)、戦争終結の前年まで日本の在スペイン公使の須磨弥吉郎氏に英米情報を提供していたのである。
※ 当時のスペインのフランコ政権は中立政策を取っていたが、日本とドイツには友好的だった。
須磨弥吉郎(すま やきちろう)(1892~1970年)
1919年に外務省に入省した外交官で「情報の須磨」として知られた。
巧みな話術と抜群の語学力の持ち主(外国語6ヶ国語に堪能)で、1937年に
対外情報収集と対外広報を目的にした「内閣情報部」を設立。1941年に日本の
特命全権公使としてスペインに赴任。以後1945年までスペインにとどまって世界の
情報収集に奔走した。戦後は「A級戦犯容疑」で逮捕・拘留されたが、1948年に
不起訴処分で釈放される。その後、政界に進出して、衆議院議員を2期務めた。
※ 1941年に須磨氏とともにスペインに赴任し、彼の片腕として活動した
三浦文夫一等書記官(公使館ではナンバー2の地位)によれば、須磨氏は
スペイン政府の組織の最高レベルのコネを持っており、戦争遂行に
関する極秘情報については最高の権威者だったとのこと。
(左)スペインの独裁者フランシスコ・フランコ将軍
(右)フランコ体制下のスペインの国旗(1939~75年)
1939年に「ファランヘ党」の党首・国家主席に就任し
一党独裁体制を敷く。第二次世界大戦ではヒトラーの
再三にわたる参戦要請を退けて「中立」を守り、
多くのユダヤ人をかくまった。戦後は
唯一のファッショ国家の終身主席
として天寿を全うした。
●第二次世界大戦中、中立国であったスペインでは連合国や枢軸国のスパイが情報収集のために暗躍していた。ベラスコが秘密裏に組織した「TO諜報機関」の資金は日本公使館から毎月送られ、スパイの組織網はスペイン国内、南北アメリカをカバーしていた。
アメリカの三沿岸の大都市ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴには合計12人の情報員を配して、スペイン(マドリード)の本部が直轄管理、その12人の周辺にさらに数人、ときには十数人の端末部員を配したという。
※ しかし1944年半ば、アメリカの諜報部員が組織のリーダーであるベラスコを狙ってスペインに潜入してくると、身の危険を感じたベラスコは偽名を使ってスペインを脱出し、「TO諜報機関」は壊滅状態に追い込まれてしまう。
●ベラスコは完全な職業スパイで、大戦中はドイツの諜報機関のためにも働き、ヒトラーから厚い信頼を得ていた。そういうこともあって、ベラスコはナチスの秘密や第二次世界大戦の真相(舞台裏)、そして世界権力の実態について知り尽くしていたと言われている。
※ ベラスコは1945年4月までドイツに滞在していたが、ベルリンにソ連軍が侵入する直前にミュンヘンに脱出、リヒテンシュタイン経由でスイスに逃げた。広島・長崎への原爆投下と日本の敗戦は逃亡先のスイスで知ったという。
↑スペイン脱出後のベラスコは、第三帝国が崩壊する寸前まで
ヒトラーとともに地下官邸で過ごしていたという(後述)
●戦後になってスペインに舞い戻ったベラスコは、「スペイン陸軍省情報部」の特別顧問に迎えられ、優遇されている。ドイツ側のベラスコに対する対応も同様で、元ナチスの大幹部たちはベラスコに南米逃亡の手助けを委ねている。
※ 残念ながらベラスコは数年前にスペインで亡くなった。
●以下(次章から)のテキストは、作家の高橋五郎氏がベラスコを直接取材してまとめた「ベラスコ語録」(インタビュー)から、興味深い部分を抜粋したものです(読みやすくするために文章の順番を組みかえています)。
ベラスコについて詳しく知りたい方は、高橋五郎氏の著書『ミカドの国を愛した超スパイ ベラスコ ─ 今世紀最大の“生証人”が歴史の常識を覆す』(徳間書店)を直接読んで下さい。なお、今回作成したファイルには高橋五郎氏とは別のルートから得た「裏情報」も加味してあります。予めご了承下さい。
※ 注意:
いちおう念のために書いておきますが、
当館は、ベラスコがどこまで真実を語っているのか明確な判断が
下せない状態です。特に「広島原爆はナチス製だった」という話は、
にわかには信じがたい話です。賛否が大きく分かれるでしょう。
「ベラスコの告白」の内容の判断は各自にまかせます。
あくまでも“参考”程度にご覧になって下さい。
第1章 |
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20世紀情報戦争の舞台裏
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第3章 |
ヒトラーは死ななかった
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第4章 |
ベルリン脱出と
ナチス地下組織の真相 |
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2つの世界大戦は
ユダヤ内部抗争が原因 |
第6章 |
和平は戦争の
一時的中断でしかない |
第7章 |
広島原爆はナチス製だった
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マルチン・ボルマンの謎
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