No.a6fhc108

作成 2003.4

 

マルチン・ボルマンの謎


〜 元イギリス諜報部員の告白 〜

 

 

●このページは「おまけ情報」です。

ベラスコとは直接関係ないので、興味のない方は読み飛ばして下さい。m(_ _)m

 

 
連合軍による「ニュルンベルク裁判」の様子(1945年11月)

この国際軍事裁判はナチスの党大会の開催地だったニュルンベルクで開かれた。
史上初の「戦争犯罪」に対する裁判で、12名のナチス高官に死刑判決が下された。

 

●1945年11月、ナチス・ドイツの戦争責任を追及するために連合軍が開いた「ニュルンベルク裁判」は、起訴されたA級戦犯22名のうち、12名が死刑判決(絞首刑)を受けるという厳しい裁判だった。死刑判決を受けたリストの中で、ただ1人だけ逮捕を逃れ、死刑執行も免れた大物がいる。マルチン・ボルマンである。

マルチン・ボルマンは、ナチス帝国の最期の日に、ソ連軍に包囲されていたベルリンから忽然と姿を消してしまったのである。彼が残した最後の日記には、『5月1日、逃亡の試み』と記されていた。

 


マルチン・ボルマン

ドイツ敗戦直前まで、総統秘書長、
副総統、ナチ党官房長として
絶大な権力をふるった

 

●ドイツ敗戦直前までボルマンは、総統秘書長、副総統、ナチ党官房長として絶大な権力をふるっていた。ヒトラー側近のナンバーワンだった彼が握っていた権力は、ニュルンベルク裁判で起訴されたA級戦犯22名の中でも最高のものだったといえる。

戦後、彼はあちこちから賞金をかけられ、ヨーロッパのいたるところで彼を捜索する動きが展開し、ベルリンで死んだとか、南米に逃げて匿われてるとか、ソ連に連行されたとか、様々な情報が飛び交い、謎が謎を呼んだ。

新聞で何度か「ボルマン逮捕!」の記事が出たが、警察が逮捕したのはいずれも人違いだった。南米における誤認逮捕だけでも16にのぼる。


●現在、公式の歴史では、「ボルマンはナチス帝国が崩壊する中、国外に逃亡することなく、ベルリンで自殺した」と説明されているが、本当だろうか?

 

 
(左)『ナチスを売った男』(光文社) (右)この本を書いた
クリストファー・クライトン。元イギリス諜報部員である。

 

●ところで、1997年に『ナチスを売った男』という本が出版され、大きな話題を呼んだ。

この本を書いたのは、元イギリス諜報部員のクリストファー・クライトン

正直、驚くべき内容の本である。著者クライトンは断言する。
「マルチン・ボルマンは戦後も生き続けた」と。

 


ヒトラーの側近、総統官房長マルチン・ボルマンは、ベルリン陥落の前夜、忽然と姿を消した。

以降、その消息についての噂は後を絶たない……1945年5月1日の深夜、ベルリンのヴァイデンダム橋で死亡……逃亡地の南米で余生をまっとうした……。とまれ、公式には、1946年10月、ニュルンベルク裁判で死刑判決が下され、1973年にはフランクフルトの法廷で死亡宣告がなされている。

だが、「真実」は……。

本書の著者クリストファー・クライトンの「告白」は、まさに驚くべきものである。

ソ連軍、連合軍による砲撃のただ中、イアン・フレミングが率いる英特殊部隊がボルマンを拉致し、英国に連行。著者は、その現場指揮官であったという! 作戦名は「ジェームズ・ボンド(JB作戦)」。目的は、ナチスの金庫番であったボルマンから、その財宝のありかを聞きだすことであった。

作戦の立案者は、極秘諜報機関「M」の長デズモンド・モートン。ウィンストン・チャーチル首相もこれを承認していた。1954年10月付の著者に宛てた手紙で、チャーチルは「自分の死後、この話の公表を許可する」と述べている。

本書は、これまでけっして語られることのなかった第二次大戦最大の秘話である!


(以上、表紙裏より転載)

 

この男の告白は「ベラスコの告白」
読み比べてみると様々な共通点があって面白い。
この本に興味のある方は下のファイルをご覧下さい↓
(本の内容を簡単にまとめておきました)

 
ナチスを売った男

〜 元イギリス諜報部員の告白 〜
第1章
「JB作戦」の誕生
第2章
ベルリン脱出(ボルマン拉致)
第3章
『バーダム文書』と整形手術
第4章
南米パラグアイで死んだボルマン
第5章
公式に確認されたボルマンの死
第6章
チャーチル首相からの手紙
■読む■

 

 

 

 

 


 

南米に逃げたナチ残党

 


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おまけ

 


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