No.a6fhc102

作成 1998.1

 

ベラスコの告白

 

20世紀情報戦争の舞台裏




── 高橋レポート ──

 

 

■■パート1


「そうだ、子供のスパイごっこだった……」

ベラスコは、日本の須磨公使を含むスペイン首相フランコ、イギリス首相チャーチル、アメリカ大統領ルーズベルトらの諜報戦を、ソ連首相スターリンの手の平の「子供の遊び」にたとえた。スターリンだけが第二次世界大戦参戦諸国の裏の裏を知りつくしていたようだ。

「ゾルゲ事件」(大東亜戦争開始前、日本政府の機密や日本の国内情勢、駐日ドイツ大便館の秘密などをソ連に通報したために、昭和16年10月にリヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実らが逮捕・処刑された事件)で、ゾルゲと尾崎が入手したとされる日本軍の南進情報も、実はスターリンは事前に「フィルビー情報網」から入手していた。ゾルゲをソ連国内でスパイの英雄として祭り上げたのは、フィルビーの正体を西側から隠す必要があったためだった。ソ連の「フィルビー隠し」を戦後になっても知らずにいたのは、ソ連国民と連合国、そして日本だった。

とすれば、「マジック」(日本側のエニグマ暗号機による無線暗号通信文を解読して得た情報に対してアメリカ側がもちいた秘匿名称)とか「ウルトラ」(ドイツのエニグマによる暗号無線通信文を解読して得た情報の秘匿名称)と呼ばれた秘密暗号文などは、単なる通信手段にすぎなかったことになる。

 


大物スパイ・ベラスコ

彼によれば、スターリンだけが
第二次世界大戦参戦諸国の
裏の裏を知りつくしていたという

 

雑誌などで見かけるモスクワのフィルビーの書斎には、レーニンの肖像を入れた写真立てがテーブルに置いてある。ベラスコの書斎にレーニンの肖像写真はないが、その雰囲気はあたかもモスクワのフィルビーの書斎に似ていて、私はときどきフィルビーに語りかけられているような気がした。ベラスコとフィルビーは、まるで一卵性双生児。彼らの育ちは対照的だったが、他の点でちがいを探すのは困難に思えた。思想・信条に絶対の忠誠を誓う意識、世界の眺め方、可愛くてひたむきな女性を好む趣味、砲弾が飛び交う戦争の裏面で敵をあざむく才覚……、2人は同一人物といっても過言ではなさそうだった。

ベラスコの好敵手で盟友のキム・フィルビーのソ連に対する貢献度は、はかり知れなかったらしいが、その活躍ぶりは、あまり世間には知られていない。超大物スパイたるゆえんかもしれない。

スペイン市民戦争、ヒトラーの開戦、真珠湾攻撃、ソ連侵攻、ベルリン占領、原爆投下、マッカーサーの日本占領、朝鮮戦争、イランのパーレビ国王復帰クーデター、スカルノ失脚工作、U2スパイ機撃墜事件……それらの舞台裏は、つい最近までベラスコ=フィルビー・ネットワークを通してソ連に筒抜けだった。フィルビーはそんな舞台裏の主役だった。

 


ベラスコの好敵手で盟友のフィルビー

筋金入りのソビエト・ロシアのスパイで、
冷戦時代にスパイ界の「キング」と呼ばれた

 

冷戦時代にスパイ界の「キング」と呼ばれたフィルビーは、学生時代の1933年から熱烈なレーニン主義信奉者で筋金入りのソビエト・ロシアのスパイ。CIAは、フィルビーの正体を1960年代初頭には薄々感づいていたといわれるが、フィルビーは1963年頃にモスクワに逃げてしまった。逃げたというよりも、CIAが逃がしたというほうが、ベラスコのいう「良心的な歴史観」に沿っているかもしれない。

フィルビーがモスクワに逃げて、西側は大打撃を受けた。フィルビーは戦前・戦後を通してイギリス情報網の組織強化に情熱を燃やし、アメリカ戦略情報局(OSS)をCIAに改組強化するうえで力を貸し、両機関のソ連対策にまで知恵を授けてきたとんでもない人物だったからだ。

ところで、フィルビーの正体をCIAが見破ったことで、皮肉にも西側戦勝国の戦史や政治史の信憑性が疑われることになる。歴史学者はパニックに陥った。それまで戦勝国が公表してきた第二次世界大戦史と、それに沿って再生産された秘密諜報活動史、軍事作戦史をはじめとして、それらに準拠したスパイ小説、戦争指導者たちの得意げな、あるいは控え目な回顧録、映画、新聞、雑誌記事、テレビ番組など、とくに1960年代前半までに公開された「史実」は書き換えを余儀なくされた。しかし一度知った「歴史」を世間の人びとは面倒がって書き直さない。それをよいことに戦勝国は、スクープされない限りは、いまだに歴史の修正に無関心を装っている。

「アウシュヴィッツの大虐殺は、ためにする伝説だ。いつまで作り話を楽しんでいるのだ!」

特異な世界の住人ベラスコは、そう吐き棄てて、いっそうソファーに体を深く沈めた。

それにしてもこんな発言を聞かされていると、聞く側の神経は麻痺してしまう。歴史的大事件や国際的事件に対してすっかり不感症になりかねない。世の中には、何が起きようと、ベラスコにいわせればそこに偶然性など皆無だという。

 

■■パート2


CIA創設の裏面にある特徴は、一握りの同族的特権階級の「紳士」らが手づくりで創設したという点だ。登場人物は主役のルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相。彼らの両脇に2人の男がいた。ルーズベルトの脇にはウォール街の金満弁護士ウィリアム・ジョセフ・ドノヴァン。チャーチルの脇にはカナダの億万長者と呼ばれたサー・ウィリアム・スティーブンソンという男。そのイギリス側にいたアメリカの駐英大使ジョセフ・ケネディ(ジョン・F・ケネディの父)らだ。

重要な点は、ルーズベルト大統領をはじめこの登場人物らはすべて、ユダヤ系資本家またはその関係者であることだ。どう見ても、世界的な権益に無縁な人物たちではない。それにカネに縁のない高級官僚や将軍も創設に関わっていない。アメリカの情報機関は、いわば密室政治のなかの人間構図から生まれたスパイ機関というわけだ。だからこそソビエト・ロシアやドイツのユダヤ系権力者、それにイギリス・カナダのしかるべき人物らとの関係も密接なのだろう。

 


1947年9月に誕生したCIA(中央情報局)
 (写真はラングレーにあるCIAの本部ビル)

 

ところでルーズベルト大統領の脇役の仕事だが、スティーブンソンがまず「MI6」のニューヨーク支局長を兼任する首相特使。その特使の特権をチャーチルから与えられてルーズベルト大統領と国家最高機密を話し合うことになる。金満弁護士のドノヴァンは、ルーズベルト大統領直属の情報調整官として特設ポストを担当して英米間を往来、大統領直属のアメリカ対外情報機関の設立に特権をふるう。こうしてアメリカ合衆国にCIAの前身「OCI」「OSS」が1941年に誕生した。1940年に起案してからわずか1年で、英米間の極秘交渉が成立し、その成果がアメリカにもたらされたのである。

「OSS」の職員は上流社会の子息を中心にリクルートした人びとであり、イギリス軍事情報部がケンブリッジ、オックスフォードの上流家庭の学生を集めたやり方を見ならっている。かくして、アメリカの対外情報機関はドイツや日本ほかの国家中枢部分にまで情報収集神経の端末を張りめぐらした。たとえば、日本に「だましうち」を仕向けさせて、アメリカの「やむにやまれぬ」対日戦争を可能にすることさえ容易だったのである。

ところで、高度なスパイ活動はユダヤ系の人間の「専売特許」らしい。ドイツ国防軍情報部長官カナリスもまたユダヤ系ドイツ人。そしてソ連GPU(KGB)のフェリックス・ジェルジンスキー、アメリカCIAのルーズベルト、すべてがユダヤ系だったことから、今世紀の情報戦争はユダヤによる大スパイ戦だったともいえそうだ。なかでもドイツ第三帝国そのものが、ユダヤ系スパイの総本山と呼ぶべきかもしれない。

たとえばロシア革命を成功させたレーニン、トロツキーらもユダヤ系の男たちだが、その彼らに1917年に資金を渡して密かに封印列車でロシア帝国にふたたび送りこんだのも、ドイツのヴェールマハト(戦時遂行体制=参謀本部)の高官ワールブルグというユダヤ系ドイツ人という具合だ。ユダヤ系スペイン人のベラスコを教育したドイツ国防軍情報部はアプヴェールと呼ばれた。ユダヤ系ドイツ人の長官カナリス提督が指揮した軍事情報機関である。

 

 


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第2章

 


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