No.b1fha803

作成 2000.11

 

ナチスとチベットとグルジェフ

 

●「彼は20世紀最大のオカルティストであった」── ゲオルギー・イヴァノヴィッチ・グルジェフをそう評価するのは、イギリスの思想家で幅広い分野の著書を持つ有名なコリン・ウィルソンであった。

神秘思想に興味がある人なら、グルジェフの名を知らない人はいないと思う。

彼は1870年頃にアルメニアのアレクサンドロポールで生まれた神秘思想家である。彼の思想は「超人思想」とも呼べる特異なものだが、その思想的骨格はイスラム神秘主義「スーフィズム」の大きな影響下にある。

 


神秘の超人G・I・グルジェフ
(1870頃~1949年)

 

●ここで、「グルジェフ思想」について詳しく紹介したいところだが、今はテーマを「ナチス」に絞っているので、それは別の機会に譲ることにしたい。

ここでは一般的にあまり知られていない彼とナチスとの“不思議なつながり”を中心に話を展開させたいと思う。

 

↑グルジェフ関連書籍

 

●グルジェフとナチスの間に何らかの陰謀あるいはつながりがあった、とする説を先のコリン・ウィルソンも支持しているが、その一番の主張者は、なんとグルジェフの門弟であったフランスの神秘思想家ルイ・ポーウェルである。彼の論拠のひとつは、グルジェフとチベットとの深い関係にある。

グルジェフが求道の旅の中でチベットを訪れたのは1905年ごろのことである。だが、ルイ・ポーウェルによれば、グルジェフはチベットに修行のためにだけ出かけたのではなかったという。彼はその著書『グルジェフ氏』で、グルジェフはロシア皇帝の密使としてチベットに入国したと書いている。当時のチベットはイギリスと中国の帝国主義的な圧力に悩み、それに対抗する力をロシアに求めようとしていた。

「彼はチベット政府から重要な財政上の部署を任され、軍の装備を管理していた。彼は政治的任務につくこともできた。グルジェフが霊能力を具えているということを、チベット人が認めていたからである。というのも、この国ではその能力こそがもっとも重要だとされており、とりわけ高位階の僧職者の場合はそうであった」

 

 

●しかし、やがてチベットはイギリスに侵略され、ダライ・ラマは国外に脱出する。そしてグルジェフは今度はダライ・ラマの密使ラマ・ドルジェフとして、ロシアに現れるのである。だが、ラマ・ドルジェフはロシアではその役目を果たせなかった。ロシア革命が起きてしまったからだ。そこでドルジェフはドイツに逃れ、ヒトラーのナチス帝国に援助を求めたのである。

この「ドルジェフ=グルジェフ」説には異論も多いが、チベット語には“グ”の音がなく、またグルジェフ自身も後年その噂について問われたとき、否定はしなかった。


●直接的な証拠はないが、グルジェフがナチスに何らかの影響を及ぼしていたと考えられる「状況証拠」は他にも幾らかある。

例えば、ドイツはロシアのコーカサス地方にひどくこだわった。1941年冬、コーカサスに侵入したドイツ軍精鋭部隊は手痛くはねかえされるのだが、それにもこりず翌春、再び侵入。と同時にナチス親衛隊(SS)所属の3人の登山家がコーカサス山脈の最高峰であるエルブルス山頂に登り、ハーケンクロイツ(カギ十字)の旗を打ちたてたのである。このコーカサス地方こそグルジェフが生まれた土地であり、また彼が“大いなる秘密”を求めて最初にさまよったのが、コーカサス山中の古代文明の地だったのである。

グルジェフはまた、革命に追われてロシアを逃れる慌ただしい旅の途中、自分のグループを率いてコーカサス山中でドルメン(古代の巨石記念物の一つで「石のテーブル」とも呼ばれる)の調査をしている。けわしい山の中にあるドルメンが“秘義伝授の道しるべ”である、という理由からだ。

 


グルジェフの生まれ育ったコーカサス地方↑

※ 後日、ヒトラーはSS長官ヒムラーの登山家が自分の許可
なしに勝手にエルブルス山頂に登っていたことを知り、相当激怒
したと伝えられている。ヒトラーはヒムラーの異様なオカルト
嗜好に対して冷めた目で見ていたともいわれている。


 
(左)ナチス親衛隊(SS)の長官ヒムラー
(右)ルーン文字で表記したSSのマーク

※ ヒムラーの若い頃からのオカルト大好きな性格は、
異常なまでに熱を帯びていたことで知られる。彼は敬虔な
カトリックの家庭に育ち、熱心なカトリック教徒として成長
したが、ナチ党に入党してからは徐々にキリスト教とは距離を
置くようになり、「古代ゲルマン異教思想」に染まっていった。

彼はSSの隊員たちをキリスト教から引き離そうと試みたが、
結局彼らをキリスト教から引き離すことはできなかった。
(ヒムラーの空想的な「異教思想」は他のナチ党幹部
にもウケが悪かったといわれている)。

 

●さて、もうひとつ注目すべきエピソードがある。

グルジェフはチベットに滞在中、結婚して長男をもうけた。成長した長男はラマ僧になり、霊的能力を発揮するようになって、僧として高位の階層に進んだ。その長男が後年、一団の僧たちを率いてパリにいたグルジェフを訪ねてきたが、グルジェフと会うや五体投地(チベット仏教の修行法のひとつであり、聖地においてしか行われない)をして、配下の僧たちを驚かせたという。

前後の関係から考えると、このグルジェフの長男はナチス・ドイツにいたチベット人グループに接触していた可能性は高い。グルジェフが息子を通してヒトラーに影響をおよぼすことは十分可能だったはずだ、と考える研究家がいる。


●また、自由都市ダンツィヒ(現在のグダニスク)の最高の行政担当者だったラウシュニングは、ヒトラーが“新しい人間”について、よく語ったと書いている。

「『わたしは“新しい人間”にすでに会ったことがあるのだよ。彼はひどく沈着で、しかも残酷だ。
わたしも彼と対面した時は恐ろしかったよ』と語りながらも、ヒトラーは慌惚として身を震わせていた……」

※ このヒトラーと対面した“新しい人間”がグルジェフのことだったと考える研究家もいる。

 


(左)ヘルマン・ラウシュニング(元ナチ党員)
(右)彼の著書『ニヒリズム革命』(学芸書林)

彼は1934年末まで自由都市ダンツィヒの
最高の行政担当者として、ヒトラーの東方政策に
関わった。その後「反ヒトラー」に転じ、国外に亡命。
1938年に、ナチズム批判の古典といわれる
『ニヒリズム革命』を出版した。

 

●ところで、ヒトラーが登場する前の1910年代に、グルジェフは次のような言葉を残していた。

〈黒魔術〉はいかなる意味でも悪の魔術ではない。それまで誰一人として悪のために、悪の利益のために何かをやった者はいない。誰もが自分なりに理解している善のために何かをするのだ。

だから同様に、〈黒魔術〉は必然的に利己主義的になるとか、〈黒魔術〉では人は自分の利益しか追い求めないなどと主張するのも正しくない。これは全く間違っている。

〈黒魔術〉が完全に利他的であるということもありうる。つまりそれが人間の善を追求したり、真の悪、空想上の悪から人類を救済することを願っているということもありうるのだ」

「また〈黒魔術師〉は、善玉にせよ悪玉にせよ、ともかく一度は『秘教スクール』にいたことがあるということを覚えておきなさい。彼は何かを習い、聞き、そして知っている。彼はスクールから追い出されたか、それとももう十分に知ったと決め込んで自分から出て行った、いわゆる〈半分教育を受けた人間〉なのだ」


●そしてヒトラーの死後、1949年にグルジェフはヒトラーに関して次のように語っている。

ヒトラーが権力を握るようになってから、人類は歴史上まれに見るターニングポイントに差しかかった。人類が彼の存在に対して、どのような反応を示すかがはっきりするまで、私は黙って見ていなければならない」



●結局のところ、今となってはグルジェフとヒトラーの「直接的で具体的な関係」ははっきりしていない。決定的な証拠に欠けているため、真相は闇に包まれたままだ……。

なお、このようなグルジェフとナチスの間に何らかの陰謀あるいはつながりがあった、とする説の一番の主張者は、グルジェフの門弟であったフランスの神秘思想家ルイ・ポーウェルであったことは先に触れたが、彼はまた「ドイツの代表的な地政学者、カール・ハウスホーファーはグルジェフの弟子だった」とも主張している。ハウスホーファーといえば、ヒトラーの政治顧問を務めた男だ。

※ このハウスホーファーとヒトラーの関係に興味のある方は、当館作成のファイル「ナチスとチベットの妖しい関係」をご覧下さい。

 


カール・ハウスホーファー

ドイツの代表的な地政学者で、ヒトラーの政治顧問を
務めた。アジアの神秘主義を深く研究した彼は、チベットの
地底王国アガルタを中心とした中央アジア地域こそ、
ゲルマン民族発祥の地であると信じた。

 

 


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