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No.b1fha812
作成 2003.12
●第二次世界大戦におけるヒトラーの行動は「謎」に満ちている。
大戦初期の第三帝国は大いに戦果をあげ、ほぼ全ヨーロッパを手中にした。
ところが、1941年以降、ヒトラーは不倶戴天の敵である共産主義国家のソ連への無謀な侵攻、世界一の強国であるアメリカに対する無謀な宣戦布告と、いわゆる「自滅政策」を取り始める。
これにより第三帝国は徐々に劣勢へと追い込まれるわけだが、なぜヒトラーが「自滅政策」を取ったかは今もって謎とされている。
ヒトラーは最初は“ドイツの救世主”として多くの国民に愛された。
しかし1941年を境にしてヒトラーの人生は急速に「暗転」している。
この年、ソ連侵攻と真珠湾事件がきっかけで米ソに宣戦布告したのである。
※ ヒトラーはソ連への侵攻を短期決戦で終わらせる予定であったが、目論見
通りいかず、泥沼化。現場は撤退を進言するが、ヒトラーはそれを容れず
戦線を維持しろと叫ぶばかりであった。そんな中、かつてナポレオンを
苦しめた冬将軍がやってきて、寒冷地装備を用意していなかった
ドイツ軍は次々と包囲殲滅の憂き目にあったのである。
●ドイツ近代史の大家である坂井栄八郎氏(東京大学名誉教授)は、著書『ドイツ史10講』(岩波書店)の中で次のように述べている。
「ヒトラーは戦争を止めない。止めないばかりか、日本の真珠湾攻撃(1941年12月8日)に合わせるように、12月11日アメリカに対して宣戦を布告したのだった。三国同盟があったにせよ、それは日本に合わせてドイツが参戦することを義務づけるものではない。
ソ連制圧の失敗の窮地に追い込まれたこの状況で、アメリカに対独参戦の機会をドイツ側からわざわざ提供したこの対米宣戦について、これを合理的に説明するのはかなり困難である。
専門的研究者でもこの対米宣戦は理解不能とするものが少なくないようだ。」
●ドイツの著名な歴史研究家であるセバスチャン・ハフナーも、著書『ドイツ帝国の興亡』(平凡社)の中で次のように述べ、困惑を表している。
「対米宣戦は、第二次世界大戦でのヒトラーの決定の中でも最も不可解な決定だし、私も実際のところその説明ができない。私は、いくつかの著作の中で様々な解答の可能性を論じたし、入手できた限りで歴史家たちの書いたものも全て読んだ。
それでも、私は白状しなければならないのだが、私自身の仮説にも、歴史家たちの仮説にも、本当に何一つ納得できないのだ。」
(左)ドイツの歴史研究家セバスチャン・ハフナー
(右)彼の著書『ドイツ帝国の興亡』(平凡社)
※ この本以外にも彼は数多くの歴史書を書いている
●世界一の強国アメリカを、無理やり自分との戦争に引っ張り込んでしまったヒトラー──。
セバスチャン・ハフナーの言うように、歴史はこの謎をいまだに解いていない。
遠くを見つめるアドルフ・ヒトラー
なぜヒトラーは米ソに対して無謀な行動をとり、
第三帝国を窮地に追い込んでしまったのだろうか?
なぜ勝算のない戦争を続けようとしたのだろうか?
●ところで、あるヒトラー研究家はこの謎を解くカギは「絶滅と再生の思想」にあるとして、神秘主義的な観点から次のように説明している。
「『絶滅と再生の思想』によれば、人類の文明は周期的に絶滅と再生を繰り返しながら現在に至っているという。大洪水や世界の終末を描いた神話、伝承は世界中に残されているが、それらはみな文明の絶滅と再生を描いたものであるというのだ。
この『絶滅と再生の思想』は、太古より受け継がれてきた叡智とされるが、ヒトラーはオカルト研究を通じてこの叡智に触れ、それを実践しようとしたのである。
ヒトラーは敗戦を目前にして、『我々は決して降伏することはない。が、滅亡することはありうる。しかし、そのときは世界を道連れにするだろう。ラグナロクだ。世界を焼き尽くす炎だ』と言っていたことから、
ヒトラーは第三帝国と道連れに世界全体を滅ぼすつもりだったことが分かる。
そして、既存の文明を滅ぼすことによって、新たなる文明を創造しようとしたのである」
「北欧神話」に伝わる“世界を焼き尽くす炎”のイメージ↑
「北欧神話」には、世界の終末に関することが巫女の予言という形で
書き記されている。それが「ラグナロク」である。「北欧神話」の最大の特徴は、
「ラグナロク」という「最終戦争」によって神々が世界もろとも滅び去ることにある。
※ この「ラグナロク」の戦いは勝利者なき神々の「最終戦争」で、その最後は炎の
巨人王スルトが世界に「究極の火」を放って全てを焼き尽くして世界を滅ぼす
のである。そして、滅び去り廃墟と化した世界で、わずかに生き残った若い
神々と、生き残ったわずか2人の男女から、再び生命が芽生えた
世界が今生の世界(今現在の人間の世界)であるという。
●これとは別に、チベットの神秘思想やヨガについて多くの本を出している藤本憲幸氏は、ヒトラーとシャンバラ(チベット)の関係に触れながら、全く別の観点から「ヒトラー敗北の真相」について語っている。
荒唐無稽に感じるかもしれないが、参考までに彼の話を載せておきたい。
以下は藤本氏によるレポートである。
※ 各イメージ画像は当館が独自に追加
■Part-1
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、伝説の理想郷「シャンバラ」に対して大きな関心が寄せられ、“地底王国ブーム”が起こり、世界各地にシャンバラの秘密結社が作られた。
それらの名をざっとあげるだけでも「東方の星」「ヴリル協会」「アルカナ学院」「哲学調査協会」「ユダヤ人共同体」「千年王国会」「世界王研究会」などがある。そしてこの流れはアメリカとドイツに向かい、ドイツではナチスが誕生した。
アドルフ・ヒトラーは、シャンバラの秘密を握ることが自分を世界の覇者とする道だと心の底から信じ、国家的な探査のプロジェクトを命がけで取り組んだ人物である。
彼はドイツの首相に任命されるや、さっそく自らの野望を達成させるべく、シャンバラの秘密を探る探検隊を編成し、世界の各地に送り出している。
(左)SS長官ハインリヒ・ヒムラー (右)チベットの
探検家エルンスト・シェーファーSS少佐
※ 彼のパトロンはSS長官ヒムラーだった
エルンスト・シェーファーSS少佐の探検隊とチベット人
ドイツからはるばるやって来た探検隊に、チベット人たちは友好的だった
チベットを調査するシェーファーSS少佐(左)と民族学者ブルーノ・ベガー
※ ブルーノ・ベガーもチベット探検家として有能な人材の1人
であり、2人はSSの「アーネンエルベ」のメンバーだった
非常に興味深いのは、1936年、ヒトラーはラインラント(ドイツ西部の非武装地域)への25万人の派兵は、「シャンバラは確実に存在している!」の第一報がシャンバラ探検隊から入った直後に行っていることである。
この頃には既に、世界各地に派遣したシャンバラ探検隊からの報告で、シャンバラの秘密を手に入れる自信を深めたのか、ヒトラーは次々と積極的な行動に出ている。1940年6月にフランス軍をついに降伏させると、ヒトラーの野望は燃えに燃えた。
アドルフ・ヒトラー
だが、ヒトラーにとっては全く予期できぬ出来事が起きたのである。遅々として進まぬ“秘密兵器”の開発である。あと一歩、あと一歩というところで、どうしても科学者の頭脳にブレーキがかかってしまうのである。
「なぜだ! どうしてできん!」
ヒトラーは焦りに焦った。
私(藤本)はこのへんのところをシャンバラ研究家3名に鋭く問うてみた。
「そのとき何が起こったのですか?」と。
すると、3人から異口同音に、「シャンバラがブレーキをかけたのだ」という回答が返ってきた。
■Part-2
1941年6月、ヒトラーはソ連侵攻の「バルバロッサ作戦」を開始した。
しかし、当初は順調だったこの作戦は11月、冬に入るとともに侵攻速度が落ちてきた。そこでヒトラーはモスクワ侵攻をあきらめ、“秘密兵器”の開発に没頭するための時間かせぎに、多くの将軍たちの反対を押し切ってスターリングラードへの攻撃作戦を指令した。
さらに同様な時間かせぎと、戦局が思い通りに展開しないことに焦りを覚えたヒトラーは、1941年秋、国内の不満や厭戦気分の矛先をそらす目的もあってユダヤ人問題にけりをつける「最終計画」をついに断行したのである。
ヒトラーのソ連侵攻作戦=「バルバロッサ作戦」
こうしたなかで、シャンバラの大師たちは、ヒトラーの計画を封じるため、彼にシャンバラの秘密が漏れないようにと、シャンバラに通じる全ての扉を閉じたという。ただし、それ以前に何らかのものをヒトラーが手に入れていたことは、ベルリンのチベット人兵士からも疑いない。
そうした中で戦局は進む。
1941年12月、「日独伊三国軍事同盟」を結んでいた日本がついに真珠湾作戦を決行、アメリカとの間に戦端を開いた。かくして太平洋戦争が勃発した。ヒトラーはこのころ、遅々として進まぬ“秘密兵器”の開発に苛立ちを感じながらも、アメリカに宣戦布告するのである。
ソ連西部の都市「スターリングラード」の戦いで、ソ連軍はドイツ軍に
決定的な打撃を与え、以後の戦局に大きな影響を及ぼした。
(この戦いは第二次世界大戦の決定的な転機となった)。
9万1000人のドイツ軍捕虜のうち、戦後シベリアの
収容所から生きてドイツに帰った者は、
わずか6000人だった…。
一方、ソ連侵攻の「バルバロッサ作戦」のほうは、スターリングラードに冬将軍が襲っていた。
このときドイツ軍は冬装備を極端に欠いていたため、氷点下20度Cにも達する冬将軍の前に、1943年1月、ドイツ軍は戦わずして降伏状態になったのである。
多くの戦史家は、このことを指してヒトラーの冷酷な性格、戦略の不備を指摘するが、それは研究不足である。ヒトラーには誰も考えることのできなかった全く新しい秘密作戦があったことを見落としている。
その秘密作戦とは「大空変動作戦」である。それは電磁波を用いて、自由自在に天候をコントロールし、氷点下を温暖に、そして温暖を熱帯に変える作戦である。それによりヒトラーはスターリングラードの冬を夏に変えられるものと信じきっていた。
しかし、失敗した。
なぜだろうか? あと一歩というところで、電磁波の放射が思うように働かなかったのである。
どうして作動しなかったのだろう? これもシャンバラ研究家にいわせれば、「当然、シャンバラからのブレーキである」という。これは、ヒトラーにとっては思わぬ誤算であった。
■Part-3
私(藤本)はシャンバラ研究家の一人であるC氏に次のような質問をぶつけてみた。
以下はその問答である。
「ヒトラーはシャンバラの科学力とその秘密を懸命に調べていましたよね。しかし、次第にシャンバラ側は非協力的になって、全ての扉を閉ざしてしまった。これはなぜですか? もし、あのとき、シャンバラの科学力がさらに応用されていたら、世界の歴史は全く今のものとは変わっていましたよ」
「その通りです。シャンバラはナチスの指導者の意思を見抜きました。彼らの野望・野心を知ったのです。そのため、一切の力を閉ざしました。
その代わり、連合軍側に“建設のエネルギー”を流したのです。そして、古い制度、古い考え、俗悪な野望を打ち砕こうとして、連合軍に勝利をもたらしたのです」
「すみません、ちょっと待って下さい。その“建設のエネルギー”というのはよく分かりませんし、良いとか、悪いとかいう判断基準はどこでされるのですか。いってみれば、“人間同士の争いに余計なお節介をするな!”と言いたくなりますが……」
「チベットの大師の方々は、ナチスの幹部とヒトラーにアストラル界から“闇のエネルギー”を放出しました。そのため、ナチスは破壊のエネルギーに満たされ、世界中の古い誤った思想が崩壊したのです。これは、大師の方々のご意志です」
「たいへんお話が抽象的だし、宗教的な内容ですね。普通の人にはなかなか理解しにくいと思いますが……」
「ええ、そうですね」
「“建設のエネルギー”とは、具体的にどのようなものですか?」
「奇跡的な力が出ることです」
「実際のこととしてよく理解できませんが……。ミラクル・パワーですか……。そうしますと、第二次世界大戦のときカウンター・アタックに出てフランスを解放し、連合軍を勝利に導いた立役者はパットン将軍ですが、彼の場合においてもそのようなパワーがあったのですか?」
「そうです。ですからヒトラーは敗北したのです」
〈中略〉
■Part-4
これは歴史上の明らかな事実だが、
今日、アメリカやフランスで「第二次世界大戦の英雄は誰か?」と聞けば、みなパットン将軍と答える。
事実、パットン将軍はロンメルを敗退させ、パリを解放し、有名なバルジの戦いでは101空艇兵団を救出した英雄中の英雄である。
アメリカ陸軍の猛将
ジョージ・パットン将軍
しかし、この人物は調べれば調べるほど、普通の人間ではない。
たとえばカルタゴの地にて部下が、「将軍、カルタゴ軍の防衛はどのようにやったのでしょうかねえ」と問いかけたとき、将軍は「いや、2000年前に私もいたのだ。幾度となく戦い、何度も私は死んだ。私の頭には昔の戦いがよみがえる。私は20世紀という時代は嫌いだ!」と非常に興味のある答えをポツンと出している。
その答えに部下は唖然としていたという。
さらにフランス史に関するところでは、部下が、「もしあなたがナポレオン軍にいたら、将軍になれましたねえ」と冗談ぽく話したのに対し、真剣なまなざしで「いや、私は実際に将軍だったのだ」と驚くべき答え方をしている。
私にはこの将軍が、冗談に対して冗談で答えているとはどうしても思えない。本当のことをポツンと語っているのではないだろうか?
すると、ナチス・ドイツ軍の優勢に進んだ第二次世界大戦で、結末を心配したシャンバラは、パットン将軍という人間にマインド・コントロールと、超科学テクニックで将軍の頭脳に戦略をインプットしたのであろうか。そしてドイツ軍を敗退さすために、猛烈なエネルギーを与えたのだろうか。
ちなみに、ドイツ軍(国防軍)の調査では次のことが報告されている。
「ジョージ・パットンは軍人の家系に生まれ、輪廻転生を信じ、神を常に祈る人間であるが、ひとたび戦いとなると軍神のようになる。そして口ぐせは『16世紀が一番よかった。20世紀は嫌いだ』というものだ」
これに対し、ドイツ軍首脳は、「頭のおかしくなった戦争犬だ」と一笑にふしている。
だが、それは本当に一笑にふしてしまっていいのだろうか。結果は、歴史が証明した。彼はパリを守り抜き、連合軍を大勝利に導き、この20世紀最大の大戦で独裁者を葬り、最後の結末を彼がつくった。
私たちの今日の平和を考えるとき、このパットン将軍がいなければ歴史は大きく変わっていたであろうことをもう一度肝に命ずるべきであると思う。私は、この人がシャンバラの計画どおりに働き、活躍して、今日の世界を作ったと思えてしかたがないのだが……。そう考えるとき、C氏のいうことがよく理解できるのである。
※ 以上、「藤本レポート」より
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